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gentle avenger の冒険

キュウレンジャーの感想を心の話を軸に書いてます!セイ!ザ!チェンジ!!!!

上下関係の世界に自己肯定感は芽生えるか

お久しぶりです!!!!!!!三十六でっす!!!!!!!!

ハイテンション且つハイペースでブログを更新してたから、BURN BURN BURNしてスターダストになっちゃったのかな?とお思いでしたか?

違うぜ!!!!俺は!!!!!獅子座流星群だーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

うちのボクが春休みに入って予定が目白押し且つスーパー睡眠不足になっちゃって「ブログより今は睡眠…!!!」ってなってただけだよーーーーーー!、!!!!!!

 

人の役に立ちたい

とはいえ、他にもブログを書く手が止まっていた理由はあります。

それは、「人の役に立つブログを書きたぁ〜〜〜い♡♡♡!!!」という邪念に捕らわれていたからです。

一見いいこと風ですね。最高じゃないですか。そりゃあ誰だって人の役に立ちたい。「ブログが役に立ったよ!」って言われたら「えっマジ!?じゃあもっと役に立つやつ書くね!」となるのが人間ですわ。

 

役に立つブログを書きたい私の意識は

「役に立つエントリを書きたい。私の考え方は人の役に立つ。どう書けばより伝わるのか?私の考え方を分かってもらえるのか?変わってもらえるのか?」

という方向へ流れていきました。

ここから、「みんな分かってない!分かってないのダメ!」までは一歩もありません。もはや私は、完全に“◯分かってる/×分かってない”で人を見る領域に足を踏み込んでいました。

「あっ、この人は“分かってない”。だからダメ。」という目で他人を見始めていました。*1

「人の役に立ちたい」がきっかけで、上下関係で人を見る癖が戻ってきたのです。

 

そうすると、どうなるでしょうか。

人からの視線に「この人(三十六)は分かってない。この人はダメ。」を強烈に感じ出すのです。

 

人の視線=自分の視線

人の内面は、所詮どこまでいっても不可知です。不可知なものを“理解”するためには、自分の中にある材料で当て推量するしかないのです。

自分の考え方感じ方をピースにして、人の考え方感じ方というジグゾーパズルを完成させる事で、人の考え方感じ方を理解 し た 気 になるのです。

で、その時に、自分の気に入ってないピースを人に使うんですよ。

 

今回の私で言えば「あー!どいつもこいつも分かってねぇー!みんな聞け!私がいい事教えてやる!」です。このピース、自分のジグゾーパズルには使いたくない。「だってワイっていい人なんだもん♡だから、このピースは人のジグゾーパズルの方に使っちゃお♡」ですよ。

その結果、人の視線に「あー!この三十六って奴は分かってねぇー!」を感じ始め、それに対して「うるせぇ!分かってねぇのはお前だ!やんのかコラ!!!!」と、虚しい独り相撲をノコッタノコッタしてた訳です。(※すべて脳内)

 

こうやって書くとなかなか愉快ですけどね。ようは世界に対して怯えてるってことなんでなかなかしんどいんですよ。

 

そもそも役に立ってるのか

たまたま今日読んだブログに書いてあったんですけど、商品のキャッチコピーを考える時には3つのnotを意識するそうです。

  • 読まない(Not Read)
  • 信じない(Not Believe)
  • 行動しない(Not Act)

客は俺のキャッチコピーなんて読まねぇし!信じねぇし!まして行動なんて起こさねぇ!…って前提で書くんだそうです。

 

 これ、なんだってそうですよね。似たようなことを漫画の書き方指南みたいなのでもよく読みますよ。「お前の漫画が雑誌に載ったとして、読者にパラパラ読み飛ばされねぇ仕掛けがお前の漫画にはしてあるのか!?」みたいな。

 

ブログだってそうなんですよ。基本、読まれないし、書いてることは信じられないし、まして読者は行動なんて起こさない。

「ブログが役に立ったよ!」って言ってくれた人はなぁ、「ブログが役に立ったよ!」って言ってくれた人はなぁ〜〜、「自分は成長する」って覚悟が決まってるから、俺のブログがなくたってどの道俺のブログに書いてるようなことには気付く人なんだよォォーーーー!!!!!!そいつの覚悟がすごいだけで、別に俺の手柄でもなんでもなかったんだよォォーーーーー!!!!!!!!

ぐわぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!!!ほっぺから火がふいちまうぜーーーーー!!!!!!!

馬を水辺に連れては行けても、馬に水を飲む気がなけりゃ馬に水を飲ますことはできねぇんだよォォォォーーーー!!!!!!

 

ウッウッウッ…_:(´ཀ`」 ∠):_それなのに俺ときたら、俺ときたら…!!!!!!

俺のブログなんて誰も読んでねぇし誰も信じねぇし誰も行動起こさねぇんだよ…ウッウッウッ…_:(´ཀ`」 ∠):_(血涙)

 

でも、俺のブログを読みこんで、ブログに書いてあることを信じて、ブログをきっかけに行動を起こす読者がー…「いるさっ!ここに1人な!!!!!」

俺だ俺だ俺だ俺だーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!

 

そう。結局どこまでも自分に向けて、自分のために書くしかないのです。

人は人で、もう既にオッキューなんです。なるようになっているのです。「成長したい、変わりたい」と思うのはナイスだけど、別に今で既にオッキューなんです。*2

ひたすら、自分はどう変わりたいのか、どう変わっていってるのかを、ブログに書き綴ることで、己を支える礎(いしずえ)とせんかい!!!!!って話だったのです。

 

その結果、それを読んだ人が「役に立ったよ!」って言ってくれるかもしれない。

でも、それはその人の覚悟が決まってるから役に立っただけなんです。別に、私のブログがなきゃないで、他の何かをきっかけに変わる力が既にある人なんです。

人を変える力なんて、私には最初からなかった。私には、私を変える力しかないのです。

 

上下関係の世界で人は自由に生きられない

てなわけで、私の思い上がりから始まった迷走はこれにて一件落着。

上下関係で人を視ると、人から攻撃される…とかって書くと、フォースの修行かなにかの話ですか?って感じだけど、私は今回のことで痛感しましたわ。

「みんな違ってみんないい」は綺麗事じゃない。この感覚を常に維持してないと、自分自身を生きられない。

そんで、この感覚は肉体的な疲労でも結構揺らぐ。

 

結論。寝不足よくない。

(おしまい)

*1:勿論、自覚できるかできないかギリギリのレベルで。

*2:この視点を自分に当てはめると、“ありのままの自分を認める”とか“自己肯定感”とかになりますね。人の在り方を否定して、自分の在り方だけ肯定しようとしても無理です。人の在り方も自分の在り方も、いいところ悪いところ合わせて全部オッキュー!と言えて初めて自己肯定できるのです。

キュウレンジャー第6話感想 +α ールールは卑怯さを引き出すー

特撮・アニメ感想

バーニングスター!!!!!三十六です!!!!!!!!!

第6話についてまだまだ書きたいことがあるので、追加で第6話感想です。

第6話感想本編はこちら。

 

gentle-avenger.hatenablog.com

 

雑感

キュウレンジャーを見ていて、作品がどれだけ素晴らしいものになるかは、作り手が受け手を信じた量によるんじゃないかと思ってきた。

作り手が「俺がこの作品で描きたかった事は見た奴に必ず届く!」と受け手のことを信じれた分だけ、作品は輝くのではないかと。

だから、受け手の目線で創作できる奴は強いのかもね。「自分の作品、描いててワクワクするゥ!!!!他の奴は知らん!!!!!俺によし!!!!!!!!!」タイプの作り手。

 

あと、ラッキーのまっすぐなテキトーさもいいけど、ショウさんの食えない感じのテキトーさもいいよね!!!!!

ショウさんのテキトーさは、上司のテキトーさって感じがするよ。テキトーなのが返って腹決まってる感。

これで、ショウさんがキュウレンジャーの為に必死になる『嘘つきショウさんの真っ赤な真実!』みたいな回があったらあたしゃ一撃で落ちて「惚れたで!!!!!!!!!!、ショウさん!!!!!!!、!」ってなる自信があるよね。
怖いわー!これ以上キュウレンジャーに気持ち持ってかれたらどうなっちゃうのか怖いわー!!!!!!キュータマ覚醒して「うちゅういち~~~~~~~!」ってテイクオフするかもしれん。

 

ちなみにラッキーが最初っからあのキャラじゃなくて、苦しみの中からあのキャラを獲得した…みたいな過去があったとしたら、私はもう胸が熱くなりすぎてスーパーノヴァ死する。

そうじゃなくてナチュラルボーンテキトーだったとしてもそれはそれで軽くていい!!!!!!!!!!!もうなんでもいい!!!!!!!!!!!!!!!!!キュウレンジャー最高!!!!!!!!!!

 

ルールについて+α

感想本編では、「ルールってのはそもそもアレ。」ってことを書きました。

その後もルールについてポツポツ考えてたので、もう少しルールについて書いていくよ!!!!!!オッキュー!!!!!!!


ルールは怯えを刺激する

誰でも、一度はルールを運用する側に回ったことがあると思います。

兄・姉として、学級委員として、職場の先輩として、親として…。

 

ルールを運用する側はもちろんルールを守ります。運用する側が守らないなんて、示しがつきません。

所が、ルールを適用される側は往々にしてルールを守れません。

「ルールなんて無駄!」、「ルールを守るなんてかったるい!」からではありません。ルールの持つ意味を理解して、ルールを適切に守るほど、理解力がないのです。

それは、年齢的なものかもしれないし*1、仕事に慣れていないからかもしれない、緊張していてルールの話を聞けてなかったかもしれません。。

 

なんにせよ、ルールを守れない何がしかの事情があるのです。

それが、「ルールなんて守らねぇよ!!!」という意志のもとになされた時でさえ、そこには事情があるのです。

その事情が何かはわかりません。専制君主的な親に育てられて自己防衛が習い性になっているのかもしれませんし、ルールを守っていじめられた経験があるのかもしれません。具体的に何かはわかりませんが、そうなった事情は必ず存在します。事情(原因)が存在せずに、“ルールを守らない”という結果だけがぽっかりと存在しているなんてありえません。事情は必ず存在します。

 

所が、ルールを運営する側は、ルールを守 れ ない(not守らない)相手を見て、自尊心がグラつきます。

「俺は守ったのに、お前は守らない?俺はしたくもない“ルールを守る”をして損してるのに、お前は損しないのか?俺に価値ないって言いたいのか?」

三段跳びで例の「俺には価値ないんかーーーーーーーーい!!!!!!!!」に到達しました。自己肯定感が低いとは、どっからでも「俺には価値ないんかーーーーーーーい!!!!!!!」という結論に持っていく!!それがどんな無茶でもその結論に持っていきまくる!!!!!!!という状態の事を言います。

 

自尊心がグラついた人間のすることは一つです。

怒ります。

 

ただ、「ルールを俺だけ守ってたら自分だけ損したような気持になって悲しくなるんだーーーー!!!!!!」みたいな怒り方はしません。そこまで自覚していれば人は怒りません。
怒った人間はほぼ確実に「お前がルールを守らないからいけないんだ!!!!!」と、相手を責めます。*2

 

「ルールを守らんかい!!!!」と怒られた側は、自分への侵略行為に対して反発します。

ここまで来たらもう二択です。

  1. 強制に反発してルールを守らない。
  2. 反発を抑え込んでルールを守る。(そして、ルールを守っていないほかの人間を責める。→ふりだしにもどる。)

 

“ルールを作ってそれを守る”というシステムは、人の怯えを刺激します。

怯えた人間は、自分だけに都合のいい言動で自分を守ろうとします。それが、“卑怯”ということです。*3

つまり、“ルールを作ってそれを守る”というシステムは、人の卑怯さを引き出してしまう。

相手の事情を見る目を曇らせて、自分の事しか見えなくさせてしまうのです。

 

集団を維持するためのシステムは、怯えを刺激して卑怯さを引き出すものではなく、勇気や覚悟を喚起するものであって欲しいわけです。

れいごとに聞こえるかもしれませんが、結局はそれが一番、ローコストで集団を維持していける方法だと思います。

 

 

ルールが生み出す勘違い

とはいえ、程度問題なんじゃねーの?という感じもします。

ルールでギチギチに縛るんではなく、それぞれの事情を考慮して、花も実もあるルール運用をしたらええやないか、と。

もちろんそれができればオッキューだし、ルールってのはもともとはそういうものなんだとは思います。

が、それがなかなか難しい。


ルールは、運用する側に、適用する側との関係性を勘違いさせます。そこに上下関係があると錯覚させるのです。*4
自分はルールを運用する側だ、と。相手は自分では何も考えられない、考えたとしても間違ってばかりで、放っておくと何をしでかすかわからない奴なんだ、と錯覚させます。

一回「俺はルールの執行者なんやー!」と勘違いすると、映画esのように、執行者はより執行者っぽくふるまうようになっていくのです。

それで、「ルール守れ!」に人格攻撃がくっつきだしたりする。

「なんでいう事聞けないの!あんたはいつもそう!お母さん困らせて楽しいの?」とか。
「他の人間が働いてる中、お前だけ怠けてて恥ずかしくないのか?」とか。

 

そして、自分を相手より上に置けば置くほど、怯えは強くなります。

本当は、“下”の奴が自分の「偉いんだぞ!」に付き合ってくれていることをどこかで知っているのです。

“下”の奴がいつ「いい加減にしろや…?」と言い出すか、戦々恐々としてるのです。

“下”の奴に依存しているのです。

怯えが強くなれば、相手への攻撃も強くなります。

 

そういったことから、ルールはよほどうまく作りこまないと*5、いがみ合いしか生まないと思います。

世の中、それぞれの事情を考慮して、花も実もあるルール運用ができる人間ばかりではない。

なら、システムは誰が運用してもオッキューなものであったほうがいいと思います。

 

ルールは期待

ラッキーたちが選んだ集団の在り方が、どの程度の規模の集団でまで実現可能なのかはわかりません。

ただ、少なくとも友人関係、パートナーとの関係、家族関係など、個人的な関係の集団においてルールを作る必要はないと思います。
どのみち例外だらけ、事情だらけで一律適用できるものではないのだから、“聞く”、“言葉で伝える”という姿勢だけあれば事足りると思うのです。むしろそれしかない。

 

個人的な関係におけるルールというのは、「普通そうでしょ!」とか、「それが常識でしょ!」とか、「見たらわかるでしょ!」とか、「何回も言ってるでしょ!」とか…まぁ、有り体に言えば“期待”です。*6

というか、全ての明文化されていないルールは期待と言えますね。

 

期待は「あなたと私は同じ考えを持っているでしょう?だから言わなくてもわかるでしょう?」という勘違いに立脚しています。

そこに、“聞く”、“言葉で伝える”という姿勢が生まれる余地はありません。

言葉で伝えないまま何かを期待して、それが叶わなかった時に相手の意図を聞かないまま、「それはルールだろう!ルールを守れ!ルールを分かっているはずなのに*7破るのは何故だ!*8」と相手を責める。

ルールの目的は集団の和のはずです。所が、ルールにこだわるうちに、怯えから目的が自己防衛になっているのです。

自己防衛に基づいた“話し合い”には1ミリも建設性がありません。平行線の喧嘩別れです。

 

期待はそもそも誰のものか

期待というのは、本来的には子供がするものだと思います。

子どもは何か問題が起きたとき、それをうまく言葉で説明できないので、大人が問題に気付いて解決してくれることを期待する。

近しい、心を開いた大人に「気付いてよ、助けてよ。」と期待するのです。

 

所が、大人の側に子どもの期待に応えられない事情があった場合、子どもは期待が満たされず、“期待”の次の段階、“言葉で説明して協力を求める(自己解決)”へとたどり着くことができない。大人になっても“期待”以外の方法を知らないままです。

そして、子どもの頃のままで止まってしまった「自分は無力で何もできない子どもだ。」というセルフイメージが、問題の自己解決を阻む。

 

期待とは、子どもが、近しい、心を開いた大人にするものなのです。

だから、期待は「あなたと私は同じ考えを持っているでしょう?だから言わなくてもわかるでしょう?」という勘違いに立脚しているのです。

だから、期待が叶えられなかった時、理屈を飛び越えて「自分に価値がないからだ。」と結論してしまうのです。

期待する以外の方法を知らないから、子どもの頃のまま、人に期待しているのです。期待する以外の方法を知らないから、赤の他人にさえ「自分と同じ考えを持っている。」という前提で期待してしまうのです。

人との境界線が引けないというのは、すべての人との間に子供と親との関係性を適用しようとしている状態なのではないでしょうか。

 

集団の和とは

自由に自分の好きなことをしている状態というのは、子どもっぽいようでいて、実は成熟した状態と言えます。

キュウレンジャーのようなルール無用の集団は、まず一人一人が大人になっていて、期待を排して覚悟が決まってなくてはいけない。

それぞれが自分の足で立っていなければならない。

期待をしあって、期待が外れて互いに自己防衛をしていたのでは、集団に和は生まれないのです。

それぞれが大人になる。それぞれが自分のやり方で取り組みながら、同じ方向を向いている。それぞれがノーガードで忌憚なく話し合う。それが集団の和でしょう。

とても難しいことだとは思います。

だからこそ、それが成ったとき輝くのだと思います。

 

そう、キュウレンジャーのように!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(おしまい)

 

 

(追記)

てかですね…。私がクドクド書いてきたようなことを、ものすごく簡潔に説明した言葉があるんすわ…。

やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず 

ハァァァァァァ…過不足ねェ~~~~~~~。

流石五十六。私(三十六)より二十多いだけのことはある。

 

▼割と力技で無理やりまとめた感。

*1:3歳児に「走り回るな!」というルールを完璧に守らせることはおそらく無理でしょう。

*2:前者をI(アイ)メッセージ、後者をYOU(ユー)メッセージと言います。意見が食い違ったとき、前者を使って話し合うと比較的スムーズです。後者を使って話し合うと(話し合いになればですが)大概殺し合いです。

*3:逆に言えば、卑怯なことをしている人には、“怯えて自分を守ろうとしている”という事情があるということです。

*4:たとえ親子関係であっても、上下関係を意識しないほうがうまくいきます。子どもとは言え一人の人間です。上から押さえつけられて反発する気持ちに大人も子供もありません。「誰が金を出すと思ってるんだ!」式に自分の希望をはねのけられて「そっかー!ごめんなさい!親の気持ちも考えずに!」ってなる子どもはいません。

*5:ルールもその適用範囲も明文化して恣意性(=運用側の八つ当たり)が入り込む余地をあらかじめつぶしておくとか

*6:期待については“人に期待していない”とは寂しい態度か? ー期待と覚悟はトレードオフー - gentle avenger の冒険でクドクド説明しています。

*7:※勘違い

*8:俺には価値がないからなんかい?なぁ、俺には価値がないからなんかい?なぁ、俺には…エンドレス

キュウレンジャー第6話「はばたけ!ダンシングスター!」感想 ールールや努力は“善”ではないのか?ー

ラッキーは運だけの男じゃないけぇ!!!!!!!!!!!!!!ワンワン!!!!!!!!!三十六です!!!!!!

 

今回のキュウレンジャーはマジですごかった!すごすぎた!!キュウレンジャーを見ている時の私は、「すげー!」としか言えない壊れ切ったレディオゥと化していた!!!!!

いやね、私もラッキーラッキー言うてますけど、正直怖い所はあるんですよ。「こんなにすごいのがずっと続くものだろうか…?なんか今回ダンスがどうのでギャグ回っぽいけど、どうなんかな…?*1」と。

 

でも、デンビルが出てきて「ダイカーン・デンビル様のルールを守るのだー!」って言った瞬間、鳥肌が立ちましたね。「それを敵に言わせるかよ!!!!!!」と!!!!!!!!!

そして、「ジャークマターとは、“恐れから子ども(他人)の領域に踏み込んでしまう人の弱さ”のメタファーなのか…?」と考えた時、「宇宙が心なき者の手に落ち、人々が涙する時、キュータマに選ばれた9人の救世主が宇宙を救う!!!オーーーオーオーーー♪オーーーオーオーーー♪」って流れてきて、魂が震えましたね…。

気付けば私は、「そうだ、それが正義だ!!!それがヒーローなんだ!!!!!!」と、涙を浮かべながらOPを熱唱していました…。

 

 

gentle-avenger.hatenablog.com

 

 今回は、↑この辺で私が書いてきたようなことがガルやショウさんによって解説されていました。

ラッキーがラッキーなのは必然なんだよ!って話は今までクドクドクドクドクドクドクドクド書いてきたので、今回は省略します。

 

「ルールを守れ!」は悪なのか?

今回のダイカーン、デンビルが言っている「ルールを守れ!」は何故いけないのでしょうか。*2

 

「ルールを守れ!」は家庭で、学校で、職場で、およそ集団生活を送る上で“善”として存在しています。

何故、その“善”を悪役が声高に叫ぶのでしょうか?

何故、ラッキーは「みんなの自由を奪うなんてゆるさーーーん!!!!」と言ったのでしょうか?集団生活でみんなが自由にふるまったら、大変なことになります。事実、集団行動ができなかったキュウレンジャーは、一度はデンビルに惨敗しました。

 

その後、ラッキーたちが出した答えはなんだったのでしょうか?リーダーを決めて、皆がルールを守るようにして、デンビルと同じ道をたどったのでしょうか?


今回の話で語られているのは、「厳しすぎるルールはよくないよ!」というレベルの話じゃぁねーんですよ。


努力するハミィ

なんと。若者言葉を駆使して、一見テキトーで自由そうに見えるハミィが、自由すぎるラッキーに対して不信感をもっていました。*3

お前も真面目さをテキトーっぽさで塗り込めて誤魔化すタイプだったか!ハミィ!!!!わかるぞ!!!!!!!!

 

「私は忍びの家系の娘として生まれて、立派な忍びになるためにずーーーっと努力してきたキュウレンジャーになってからも同じ!どんなに苦しくても歯を食いしばって頑張ってきた!絶対にジャークマターを倒すために!だから!どんなにすごくても運だけで生きてきたような男についていくなんてできない!」

とハミィは自分の気持ちを吐露しました。

 

はい、またです。

努力をしてきたハミィの何が間違っていたのでしょうか?目標を達成するために歯を食いしばって努力してきたなんて、それは「オッキュ~!!!!!!」じゃないんでしょうか?努力は“善”ではないのでしょうか?

キュウレンジャー、我々の“常識”にズバズバ切り込んできます。

 

ハミィは、忍びの家系に生まれて、立派な忍びとなることを嘱望されました。

立派な忍びになら ね ば な ら な い のです。ジャークマターを倒さ ね ば な ら な い のです。
誰が決めたのでしょうか?少なくともハミィではありません。立派な忍びになることも、ジャークマターを倒すことも、ハミィがしたいことではありません。だから、努力しなければいけないのです。

 

努力するからには、結果を出さなくてはいけない。結果を出すためには、無駄なことはしていられないのです。

だから、ハミィはダンスの練習をさっさとやめてしまった。そんな、結果が出るか出ないかわからないことに時間を割いている暇はないのです。

そんなことをしていたら、他の誰かに追い抜かれてしまう。出し抜かれてしまう。

 

努力をする人は、自分自身ではなく、人の基準で物事に取り組んでいます。

人の基準で取り組んでいるから、客観的な結果を欲しがります。

客観的な結果とは、人と自分を比べて、ランク付けすることです。

ハミィが言った「そんなことより、リーダーどうなったの?誰が一番だった?」というセリフは象徴的です。

この時点でのハミィは、デンビルの下でマスゲームやってるチキュウ人と同じ状態にあったのです。

 

自由に楽しむラッキー

ラッキーは自分自身を生きています。自分がしたければするし、したくなければしない。シンプルです。

 

「ジャークマターをぶっ倒したい!」からジャークマターをぶっ倒すし、なんかペガさんに振り回されながらダンス練習するのも、「オレ、すっげぇ楽しくなってきた!」から「絶対乗りこなしてみせる!」と、何時間でもダンス練習を続けるのです。

自分がしたいことをしているから、楽しいのです。したいことをしている時点で目的は達成されているから結果を求めてはいないけど、結果的に結果はついてくるのです。(なるつもりは別になかったけど結果的にペガサスシシレッドになれた。)

努力せずに楽しんでいるだけの奴に、結果はついてくるのです。
ラッキーはそれを「よっしゃラッキーーー!!!!!」と、言っているのです。え…なにそれマジ謙虚…。

 

その結果だけを欲しがって、努力している人間が努力でもって楽しんでいる奴に追い付こうとしても到底無理です。

楽しんでやっている奴に、努力で勝つことはできないのです。
そもそも、楽しんでやってる奴は勝ち負けとかランク付けとか、そういう発想もない。だって楽しいから!!!!!!!!(IQ3)

それが、結果ではなく過程を大事にするということなのです。


自分自身になれ

みんながみんな、ラッキーのように自分自身を生きて自由にふるまったら、集団は崩壊してしまうのでしょうか?
まぁ、そうなりそうな気はしますよね。
だって、ルールがあっても、そのルールさえ守れない奴がいるのに、ルールを取っ払ってしまったら、どうなってしまうのでしょうか?北斗の拳的世界が現れるのでしょうか?

 

「ルールを守れ!」は家庭で、学校で、職場で、およそ集団生活を送る上で“善”として存在しています。

しかし、それらは「ルールを守ろう!」と、一見それぞれの自主性に委ねられているような形をとりながらも、実際にはルールを守るか守らないかを選択する余地はありません。
そして、ルールには大抵、恣意性が加わります。親や教師や上司…それを運用する側の機嫌ひとつで、ルールの適用範囲やルール自体が変動するのです。(そしてそれは仕方のないことです。)


ルールを守るには努力が必要です。自分のしたいこととルールが合致することはまれだからです。*4

ルールとは“強制されるもの”であり、ほとんどの場合“自分のしたいことを否定するもの”なのです。

人間、強制されたら反発します。強制は、(その意図がどんなものであれ)自分自身に対する侵略行為であり、強制に対しては自分を守る戦いをしなくてはいけないのです。

それが、“ルールを守らない”です。*5

ルールに従う人間は、強制に対する反発を抑え込むために、“努力”するのです。

 

ちなみに、強制には人の目を気にして自分が行う“セルフ強制”もございます。
その服は、人から馬鹿にされたくないから買ったのか?自分が好きだから買ったのか?
子どもと遊びに行くのは、それが親の義務だから行くのか?自分が楽しいから行くのか?
授乳中にオギャーの目を見なくてはいけないのか?見たいのか?
泣き叫ぶオギャーを、用事がある中抱っこしなくてはいけないのか?抱っこしたいのか?
日常生活のすべてを、自分で選ぶのです。頭の中でゴジャゴジャ言ってくる奴らをぶっ殺しまくって、自分で選ぶのです。*6

 

閑話休題

ハミィは、ダンスの練習をし続けるラッキーを見て「楽しそう。」と言いました。

楽しさで、自分がやりたいかやりたくないかで、自分のすることを決めていいのだと気づいたのです。

その時、ハミィは「立派な忍びとかキュウレンジャーとかマジウケる!私は好きにやるしーーーー!!!!!!シクヨローーーーーーーー!!!!!!!」と、キュウレンジャーを離脱したでしょうか?

 

しませんでした。

忍びの家系に生まれて、立派な忍びにならねばならないのではなかったのです。父や母や里の者(知らんけど)の期待に応えたかったのです。

キュウレンジャーとして、絶対にジャークマターを倒さねばならないのではなかったのです。キュウレンジャーとして、ジャークマターをぶっ倒したかったのです。

ハミィは、自分で選びなおしたのです。やってることは変わっていません。でも、ハミィにとっては全く違うのです。


選択が完全に自分に委ねられた時、自由な時、人は意外と集団に適応的なもんです。
自分の自由を守りたいから、したいことをしていたいから、相手の自由に踏み込む真似はしないのです。
自分のしたいことに人の協力が必要だったら人に頼むし*7、自分のしたいことで不具合が起きたら自分でケツを拭くのです*8
それが、自他の境界線を引くという事だし、自分の言動に責任を持つという事だし、他人の領域に土足で踏み込まないという事だし、自分も相手も大切にするという事だし、人の迷惑考えるという事なのです。*9
ルールがあるから、責任感や和が生まれるのではないのです。自由だから責任感や和が生まれるのです。


「ルールを守れ!」に依らない集団とは?

「俺が俺が」で集団行動ができず、デンビルに惨敗したラッキーたちが出した結論、ラッキーたちが選んだ集団の在り方とは、どのようなものだったのでしょうか?

それは、

それぞれが、自分のしたいこと(ジャークマターをぶっ倒す)を、楽しんでやる!そのために息を合わせる!

でした。

 

「みんなァ!!!!楽しんでいくぞーー!!!!!!」と、楽しくダンスしながら敵をぶっ倒しているラッキーたちを見て、デンビルもつられて踊っていました。
本当は、デンビルだって楽しく自分の好きなことをしていたいのです。
デンビルも、自分の好きなことをしていなくて、楽しくないから、チキュウ人にルールを強制しなくてはいけないのです。*10
そして、デンビルにとって過程は結果のための手段でしかないので、結果が手に入らないと見るや、自ら過程(自分のモットーだった「ルールを守れ!」)を投げ捨ててしまうのです。


それぞれが、自分の意志でしたいことを楽しみながらしている集団に、強制されている集団が勝てる訳はないのです。
強制されて、お互いを比べあって、ランク付けし合いながら結果をだそうとするのではなく、一人一人が宇宙に輝くスターとして*11、自分の責任で、覚悟を決めて、同じ夢に向かって楽しむ。それが、ラッキーたちの選んだ集団の在り方です。

 

スターは9人の救世主だけか?

ラッキーは最後に「キュウレンジャーにリーダーはいらねぇよ!みんな一人一人がスターなんだからな!」と言いましたが、なにもキュウレンジャーの面々だけがスターなのではないのです。

チキュウ人だって、キュウレンジャーを見ている私達だって、デンビルだって、みんなスターなのです。

 

スターなのに、輝いていないのは何故でしょうか?

自分と人とを、正しさの鎖で縛りつけているから輝いていないのかもしれない。

その鎖の下に、輝く自分自身があることを知らずに。

 

スターーーーーーだぞーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!この世に生を受けた奴らはあまねくスターーーーーーーーーなんやーーーーーーーーー!!!!!!!!!輝け!!!!!!!!!!自分自身を生きて輝くんや!!!!!!!!!!!!

 

子どもに見せたい作品とは

私にとってキュウレンジャーは“子供に見せたい作品”です。
私が子どもに見せたい作品というのは、「発達段階的にこういう事を理解してほしいから…。わかりやすい言葉と表現で…。」と、作り手が勝手に決めた子供のレベルに沿って作ったものではないのです。
大人が、作品の中で語った“自分の出した答え”が必ず子供に届くと信じて、本気で楽しみながら作った作品を、私は子供に見せたい。
キュウレンジャーはそんな作品です。
キュウレンジャーには、作り手の生き様を感じるのです。

 

その生き様に、私も生き様で応えたい!!!!!!!!!!!!

そう思わせてくれるのがキュウレンジャーなのです!!!!!!!!!!!!!

(おしまい)

 

 

▼自分自身を生きた軌跡、それが生き様!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

*1:まぁ、毎回ギャグ回で、ギャグしながらすさまじく深いこと言ってるんですが。キュウレンジャーは。

*2:これを悪役に言わせるなんて、作り手が視聴者を信じて覚悟を決めていないと絶!対!無!理!!!!!その覚悟、受け止めるのさ!!!!!夢ごと感動ごとォォォォ!!!!!!!!

*3:やはりグリーンはレッドを受け入れるのに時間がかかるようです。

*4:努力無用でルールが守れる場合もなくはないと思います。掃除が好きで好きで仕方ねぇ奴と「そうじはきちんとしましょう」というルール、とか。

*5:“グレる”とか“病む”とかも自分を守る戦いです。

*6:ぶっ殺し方はリンク先を読んで考えてくれ!そこまで書いていたら10000字超える。 キュウレンジャー第5話「9人の究極の救世主」感想 ー夢を諦めないとはー - gentle avenger の冒険

*7:とっととしたいことしたいから期待(=黙って察してくれるのを待つ)しない。期待してたらいつまでたってもしたいことできない。

*8:自分でケツを拭いてでもしたい。

*9:今パッと思いつかないけど、他にもいろいろな言葉で説明されています。

*10:自分が好きなことをしていて楽しかったら、人の領域に踏み込んでいる暇はない。自分だけ、したくもない努力をして損したくないから、人にも同じ損を強制するのです。

*11:「宇宙に輝くスターにも一等星二等星…ってランクがあるよね?」とか言ってる奴は前に出ろ!!!!!!!!そういう所だぞ!!!!!

テキトーさは強さ、軽さは希望 ーラッキーが人を変えられる理由ー

はい、こんにちは。三十六です。

 

先日ね、うちのボクと公園で遊んでたら、5歳くらいの子がたたかいごっこをしていて、なんかずっと「お前の罪を数えろ!」「お前の罪を数えろ!」って言ってるんですよ…。正直、親の顔が見たいって思っちゃいましたね…。

親の顔を見て、肩をわしづかみにして揺さぶりながら、

「息子さん、この年でもう中二病ですか??!!!!センスが早熟ですね!!!!!!私は33ですけど息子さんと趣味合いそうです!!!!!!!!!!てか、息子さん仮面ライダーWが好きなんですか???????絶対リアルタイマーではないですよね!!!!!!!お兄ちゃんと一緒に見て好きになったってのも無理がある年齢だと思うんですけど、なんで知ってるんですか?????!!!!!息子さん、仮面ライダー好きなんですか???????それともご両親の薫陶が!!!!????私まだW見てないんですけど、一緒に見ませんか!!!!!!!!」

って言おうかと、思っちゃいましたねーーーーーーーー!!!!!!!

 

はい、本題。

 

ラッキーはテキトー。

ラッキーって基本超テキトーですよね。

なんか、信念とか努力とか、そういうのないですよね。

宇宙の果てを見たいと言っていたかと思えば「俺、キュウレンジャーになりたい!!!」とか言い出すし、目の前で一族郎党皆殺しにされたガウの気持ちも考えずに「キュータマがお前を選ばない理由が分かった!」とか言っちゃうし、会ったばかりのバランスを「俺はバランスを信じる!!!」とか言いながら信じちゃうし…

挙げだしたらキリがありません。だって基本全部テキトーだから!!!!!!!


私の真面目さが孕んでいたもの。

今はこんなですけど、以前の私は真面目でした。真面目を絵にかいたような奴でした。そして自分が真面目であることにプライドもありました。(めんどくさい)

 

自分の話の途中で、軽口でチャチャ入れられたりとかしたらイッッルァァッッッ…!ってなってました。

「話をちゃんと聞けよ!!!!(真面目)」と思いながら、でも“楽しい空気は壊すべきではない(真面目)”ので、ひきつった笑顔で軽口に応えていました(真面目)。

逃げ場のねぇ真面目感!!!!!!!!どこまでいっても真面目!!!!!!!!!

 

多分、以前の私がラッキーを見たら、

「なにこのキャラクター。言動に統一性がなさすぎて、キャラクターとして成立していないじゃないか。しかも仲間に対して無神経だし…。見ててイライラしてくるわ。」

とか思ってたんじゃないですかね。知らんけど。

 

今思えば、当時の私の真面目なパーソナリティっていうのは、他人からの批判に対する恐怖と怒りを内包していました。

批判に対する防御として、批判される余地をつぶしまくった結果が“真面目”でした。

好きで真面目やってるんじゃないんで、好きなように振舞ってる軽い人間が許せませんでした。

そして、批判に対する先制攻撃として、常に周りを批判の目で見ていました。

その結果、その目が全て自分に跳ね返ってきて、ますます真面目さで自分を守るしかなくなっていました。*1

いわゆる、“自分にも他人にも厳しい人”です。ハッキリ言って「お前って重いんだよなー。」なのです。

 

真面目であることはつまらなくて退屈です。*2
真面目であり続けるには努力が必要です。だって、別に真面目でいたくて真面目やってるんじゃないから。本当はしたいことあるのに、我慢して真面目にやってるから努力が必要なんです。

 

全ての事は、深刻に考えようと思えば、どれだけでも深刻に考えることができる。真面目だった私は、物事を想定しうる最大限度の深刻さで捉えることで「私はこんなに深刻に、真面目にやってるんだ、だから文句はないだろう!!!!!」と自分を守っていたのです。
そして、自分が我慢している“自分のしたいこと”を自由にやってる他人に、一人で勝手に怒っていたのです。

やりたいことをしている他人が羨ましい、でも、自分を守っている“真面目”という鎧を今更手放すことはできない。そういう葛藤状態にあったんですね。

 

心が健全でないと人間軽くはなれません。*3


殺されかけてもテキトーなラッキー。

第1話でラッキーが放り出された宇宙空間でキュータマ覚醒して、「よっしゃラッキーーーー!!!!!獅子座流星群だァァァーーー!!!!!」ってジャグジャグに戻ってくるシーンのあまりの軽さに私は「この軽さ、マジで最高だな!!!!!!」と思いました。


宇宙空間に放り出されたんですよ?即ち殺されかけたんですよ?*4

普通なら帰ってくる時のセリフは、最低でも

血だるま剣法ーーーーッッッ!!!!!おのれらに告ぐーーーーーーーッッッッ!!!!!!」

ぐらいにはなりますよ。*5

恨みつらみ怒り憎しみに捕らわれまくってるはずです。


そこをラッキーは「よっしゃラッキーーーー!!!!!獅子座流星群だァァァーーー!!!!!」ですよ!!!!!!

なんて軽いんだ!!!!!ラッキー!本当にお前の心はダイヤモンドだな!!!!!!!

たかだか殺されかけた程度では、自分の価値を疑わないんだな!!!!!!!!

 

私は、笑いながら、ラッキーの輝くダイヤモンドのような心の強さに感動しました。

覚悟の決まった軽さは、人を笑いながら感動させてくれるのです。
そして、人を覚悟へと促してくれる。だって、軽さは相手に何も強制していないから。

覚悟を決めることを強制されていたら、人間覚悟は決まりません。覚悟を決めるか決めないか、その選択が完全に自分に委ねられて初めて人は覚悟を決める気になるのです。

 

重い奴からは逃げる一択です。でも、軽い奴相手は何をしようが自由なのです。そんな時、覚悟は決まるのです。

ラッキーがチキュウ人に「お前ら!!!!!!!俺たちが戦ってんのが見えんのかい!!!!!!ちょっとは加勢しようとかないんかよ!!!!!!!!どこまで性根が腐ってんだ!!!!!!!!」(激重)とか言ってたら、チキュウ人は戦う気にならない所か、ラッキーたちを敵とみなしたでしょう。

 

軽さは希望なのです。

 

ラッキーは、軽いから、人を変えられるのです。

 

テキトーさ≠相手を軽んじる

相手を信じていなければ、相手の意思を尊重していなければ、相手の自由を尊重していなければ、テキトーではいれないのです。

テキトーであることと、相手をテキトーに扱うことは違います。

 

冒頭、私は「目の前で一族郎党皆殺しにされたガウの気持ちも考えずに『キュータマがお前を選ばない理由が分かった!』とか言っちゃうし、」と書きました。

ラッキーはガウの気持ちを考えていないのではないのです。

ガウの気持ちを尊重しているからこそ、ガウが自分でも気づいていない本心にラッキーは呼びかけることができたのです。
ガウの自分でも気づいていない本心が、ラッキーの透徹した視線には見えているのです。

 

「一族郎党を皆殺しにされてなにもしたくない。」というのは、「ジャークマターと戦いたい!」という自分の本心から逃げるために、ガウが自分についていた嘘だったのです。
ラッキーはガウを尊重しているから、ガウの嘘を取り合わなかったのです。

「嘘ついてんじゃねぇ!!!!!本当のお前自身を開放しろ!!!!!!!」と殴り合ったのです。


私の軽さ

別に「俺は軽くあるべきだ!!!!!務めて軽くふるまうぜァァーーーーーーー!!!!!(真面目)」と思ってはいませんが、私も以前から言えばほぼ別人レベルに軽くなりました。

 

直前のエントリで書いたように、私はいわゆる“毒親”に育てられました。

以前の私は、人から「誰にでもあるような親への不満を大げさに騒ぎ立ててるだけじゃん。終わらない反抗期かよ。」と言われるのが何より怖かった。

でも、今は「お前は絶対そんな複雑な育ち方してねぇだろ!!!!!!」と言われたい。それは私にとって最大級の賛辞です。

 

そして、その私の軽さ、テキトーさが希望になる人たちが必ずいると思っています。*6

 

真面目であることは努力を要します。テキトーであることは覚悟を要します。

努力は継続的ですが、覚悟は一瞬です。

私は、覚悟をススメます。

(おしまい) 

 

▼明日やんけ~次のキュウレンジャー明日やんけ~~~!!!!ワクワクするわーー!

*1:キュウレンジャー第5話「9人の究極の救世主」感想 ー夢を諦めないとはー - gentle avenger の冒険 参照。たまごにわとり問題ですけどね。

*2:それが必要な所で 適 宜 発揮されるものであれば、いいんですけどね。例えば、“遊んでるときも真面目”ってのは、だいぶ生き辛いメーター上がってますよ。俺の事かーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

*3:軽さで自分を守っている人もいますけどね。そういう奴は結局重いんだよォ!!!!!

*4:キュウレンジャーは敵も覚悟決まってて、マジで殺しにきますよね。覚悟決まってる敵ってのはいいもんです。ドン・アルマゲ様に忠誠を誓いながら爆死したエリードロン、嫌いじゃない。

*5:〜 そして伝説(放送禁止)へ 〜

*6:あっ、真面目だなー!テキトーさに理由を求める所がまだまだ私も真面目だー!別にいいんだけどね。真面目でも。(テキトー)

“恨み”とは自分の人生をかけた復讐 ーもう一つの幸せでgentleなやり方ー

心の話

どうも~三十六です~。

昨日のエントリに私、「大人のふりして諦めたら奇跡のなぞなぞがとけねぇんだよォォォーーーーーー!!!!!!!」って書いたんですけど、「ン?歌詞あってたっけ?奇跡だよね?」と思って検索したんですよ。
そしたら、「奇跡のなぞ な ど 解けないよ」だったんですよ!!!!!!!!!!!
30年越しの真実!!!!!!!「奇跡のなぞなぞ解けないよ~♪」ではない!!!!!!!
うわーーーーーー!!!!!!引用系ギャグで引用間違える!!!!!うわーーーーーーーーー!!!!!!
かわいいなーーーーーーー!!!!!!「なぞなぞ、とけないんだ!(*бωб*)」って思いながらドラゴンボール見てた私(3さい)かわいいなーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ふぅー!過去の自分がかわいすぎてビックリしたわー!なんも恥ずかしくなんかねぇわー!


さて本題。

人によっては結構怖い話だから、読む時は覚悟決めて読んでね!

 

「死んだ〇〇は復讐なんて望んでいないぞ!」は何故陳腐化したか

刑事ドラマとか2時間ドラマとかで、「死んだ〇〇は復讐なんて望んでいないぞ!」ってセリフ、ありますよね。

 

このセリフ、最近は「望んでますけど???(by 死者)」「お前が勝手に決めるな!」みたいな感じのツッコミを入れたギャグでしか使われなくなりました。*1

 

少なくともネットでは、「ハァ?何言ってんのwwwww」的扱いのセリフですが、これ、もともとはギャグにして茶化される程人口に膾炙したセリフなんですよね。

つまり、このセリフがまだ確かな説得力を持っていた社会においては、「ガーーン!その通りだ!!」とみんなが感じる何かが、このセリフにはあったのです。

しかし、今このセリフを聞いて、その何かを感じ取る人はいない(少ない)でしょう。このセリフの扱われ方を見ているとそれが分かります。

社会から、このセリフに説得力を感じるために必要な、“何か”が失われたのです。

“何か”が失われた社会で、このセリフは急速に陳腐化したのです。


失われた“何か”を探せ

人は長い歴史の中で、怒りや恨みに捕らわれることのデメリットを発見し、そうならないために人を許すコツを宗教やことわざなどで共有してきました。

怒りや恨みに捕らわれた人間の幸福度はダダ下がりします。

「憎むことでいつまでもあいつに縛られないで!!!!!」と中島みゆきも言っていますが、人は、憎い相手を、自分の人生をかけて恨んでしまうのです。人生を恨みで浪費してしまうのです。恨みとは、破滅的なものなのです。

そこで、人々は「お互い様。」と考えてみたり、「情けは人の為ならず。」と言ってみたりしながら、人を許し、怒りや恨みに捕らわれることを避けてきたのです。*2

 

その社会の在り方が変容せざるを得なかったのは、やはりインターネットの台頭によるものでしょう。

ネットには、許す必要のない見も知らぬ“間違った人”が無限にいます。

狭いコミュニティで毎日顔をつき合わせるわけでもなし。“そいつ”を許さなくても、私たちにはなんの支障もない訳です。

そうなったら人は、相手を許して得られる深い幸福・自信よりも、相手を叩いて得られるインスタントな自己承認を求め始めます。

我慢して頑張って後で2個マシュマロを食べずとも、1個のマシュマロを今食べまくれる世界が現出したのです。*3

 

社会から失われたのは、“許す”という姿勢です。

 

死んだ〇〇は復讐を望むか?

“許す”という寛容さを失った社会で、人はあまりに怒りや恨みに慣れてしまって、そのデメリットも当たり前のものになってしまった。人生とは、つまらなく、イライラと怯えながら、不幸から目をそらしながら過ごすものだということに、なんの疑問もなくなってしまった。

物語の中で、大切な人を殺されて、犯人を憎み、恨みで人生を浪費する人間に「もっと幸せに生きろ!!!!」と思うこともなくなった。「死んだ娘さんは、お父さんが復讐のために自分の幸せを投げうったら辛いだろう。」と思うこともなくなった。

自分が殺されたとしたら、大切な人には犯人を憎み、恨みを抱えて人生を送って欲しい。そうでなければ自分の価値を信じられない。

そう、なってしまった。


恨みを抱いた人が幸せになるために

憎い相手は許すしかないのです。許して、あなたがあなたの人生を生きる事が、一番大事です。
あなたはその憎い相手を恨む為に生まれてきたのではないのです。人生を楽しんで、幸福に生きなくてはいけない。

 

憎い相手のためではなく、自分自身のために、相手を許さなくてはいけない。

そうして、あなたは幸せな人生を歩まなくてはいけない。あなたにはその価値があるからだ。

あなたには生まれてきただけで、幸福な人生を送る価値がある。

それを憎い相手ごときに邪魔させてんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!よく言うだろ、「幸せになるのが最大の復讐」って!!!!!!!!*4

 

あ、ちなみに許すって言ったって、仲良しこよしをしなくちゃいけないわけではないですよ。

相手と縁を切っていても、許すことはできます。


なぜ憎い相手は許せないのか

憎い相手を許すのは怖い。

相手が正しいのか、自分が正しいのか、の鍔迫り合いをしている時に、自分から刀を下ろすということだ。間違いなく斬られる、と感じる。斬られたら死んでしまう、と感じる。

実際の所、「南無三!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(多すぎ)」と刀を下ろしてみると、何故か斬られないし、もし斬られたとしても無傷だ。*5


それが分かった瞬間、先に刀を下ろした自分にものすごい自信が湧いてくる。

「これができたんなら自分に出来ないことなんてないんじゃねーか。」って気分になってくる。

今まで、鍔迫り合いで浪費していた全てを、自分のために使う事ができるようになる。

一皮剥ける。ふっきれる。生まれ変わったような気持ちになる。

いいことずくめだ。

 

んなこたぁ言われなくても分かってる。どっかで、確かに、分かってはいる。

でも、刀を下ろすのは怖い、怖すぎると風が囁いている。

 

そんな時、スマホSNSを見ると、“間違った”奴が、“アホのくせに調子こいた”奴が、“イケてねぇ”奴が、“政治的に正しくねぇ”奴が、まぁなんでもいいけど、目にとまる。

これはちょうどいい。鍔迫り合いを続けながら、空いてる足でそいつを蹴る。

「お前は間違ってる!お前の間違いを指摘する俺は間違ってない!」と蹴りまくる。*6

蹴っている間は、鍔迫り合いや「許したほうがいいんだろうな。」という考えから目をそらすことができる。

 

低い自己肯定感とは

憎い相手を恨んでいる時、人は「相手の方が悪い!」と確信しているつもりで、心の底では「憎い相手が正しいんかい、自分が正しいんかい、相手が正しいんかい、自分が正しいんかい、相手が正しいんかい、自分が正しいんかい…(エンドレス ※マジで)」と揺れまくっている。

 

この揺れまくりが、自分の価値を疑わせるのだ。

なんかちょっとあるたびに、一人で勝手にここが刺激されて、

「ギャーーーーーーーー!!!!!!!やっぱ自分が正しくないんかーーーーーーーーい!!!!!!」

「やっぱ俺には価値ないんかーーーーーーーーーい!!!!!!」

と騒ぎ出す。*7

 

そうなると、自分を守るため、自分にそう感じさせた相手を攻撃するような言動を取ってしまう。

「悪いんはお前やーーーーーー!!!!!!」

とやってしまう。

だから、人は自分を守ろうとした時、いらんことを言う。悪気は0。ただただ自分を守りたいだけ。

 

でも、された相手もまた根っこが揺れまくっていた場合は、そのいらんことに悪意を読み込んで

「ギャーーーーーーーー!!!!!!!やっぱ俺は正しくないし価値ないんかーーーーーい!!!!!!!」

と騒ぎ出す。

そして、自分を守るため相手を攻撃する。

 

そして、

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

…エンドレス…

ツッコミ不在のエンドレスコント。

 

憎い相手は許すしかないのです。許して、あなたがあなたの人生を生きる事が、一番大事です。

 

私の恨み

私の場合は、親に対する恨みの感情を抱えて10年間のたうちまわっていました。


私にとって、親を許すことは簡単な話ではなかったです。

私だって、「私の父は エテ吉。母は アフリカの大地。そして私は ジャングルの王者ターちゃん!!!!!!!!!」ぐらいのことは思っていましたよ。いやだからつまり、自分はもう天涯孤独だってことにしようと思ってたってことです。

許す直前まで「そんなの絶対無理無理無理無理!!!!!!!うちの親はそんなんじゃないから!!!!!!!」と思っていました。

 

が、色々あって、「あれ?意外と…いけそうな…気も…してきた…ぞ…。」と感じ始め、許してみよう、と思えるようになった。

そして、自分の中で親を許せた瞬間、私の中から“毒親問題”は消え失せ、代わりに好きなことをしたいという気持ちが湧いてきました。 そっからは展開早すぎて、自分の変化に自分でついていけていない所もあります。

「え…10年頑張ってもできなかったことが気付けば次々にできている…。*8

という感じです。


それだけのことができるエネルギーを、私は「親が正しいんかい、私が正しいんかい、親が正しいんかい、私が正しいんかい…」に費やしていたという事です。

最初の頃こそ、許す前の感覚を思い出して、「あ、このエピソードは許せないかもしれない…。」と引き戻されそうになったりもしましたが、今は、キュウレンジャーの事ばかり考えているし、他にもしたいことが山積みで、毒親にされたことは正直、思い出している暇もないという感じです。

「したくないことはやりたくない。」とかじゃなくて、「したくないことができない。」過去の話を思い出してても楽しくないんで優先順位が下落しまくった結果、気づけば思い出していない。

 

私の10年間

10年間、揺れる根っこ(=低い自己肯定感)をどうにかしたくて心理学やらなんやら色々調べてきましたけど、親を許す事さえできれば、心理学やらなんやらの知識はいらんかったのです。

逆に、親を許す事が怖すぎて、なんとかそれを避けてどうにかなる方法はないのか?と心理学やらなんやらを調べまくっていたとも言えます。

 

許すことから逃げてきた10年だった。でも、その10年は無駄じゃなかった。根拠はない。そう決めた。

だから「私の10年を返せ!‼!」とかも別にないです。そんなこと思ってる暇があればキュウレンジャーの感想書きます。

 

五里霧中の10年間、私はずっと「私は、どうなったら“あがり”なんだろう?」と考えていました。

自他の境界線が引けたら?自己肯定感を得られたら?豊かな人間関係を築けたら?子供の頃、自分が望んだ親に自分がなれたら?…

まぁ、それは今でも分からないし、今の私が“あが”ってんのかどうかも分かりませんけど、最早それはどうでもいい。

ただただ毎日が楽しい。それだけです。
もし、今の私のこの状態がまやかしでも、私は一向に構わない。こんな幸せなまやかしなら死ぬまでまやかされていたい。

 

AC自認のその先

AC(アダルト・チルドレン)とは、医学的な用語ではなく、問題を抱えた家庭で育った人間がそれを自称することで、自分の問題認識を助けるためのものです。

親を“毒親”と呼ぶことも、同じような効果があると思います。

まず、「幼い自分は絶!対!に!悪くなかった。」ということを認識しなければ始まらない。そんな育てられ方をした人間というのは確実に存在するのです。

 

ただ、ACであることや、自分の親が毒親だったことを認識して、自分は悪くなかったことが腑に落ちて、自分の辛い・悲しい気持ちを認めて…のその先が私にはずっと見えなかった。*9

「一体、こっから私はどうしたらいいんだ。ACと自認しても、親を毒親と呼んでも、いまだ生きづらさを抱えて、自分を愛してくれる人たちを心から信じることができず、何かあるごとに発作のように湧き上がる親への恨みつらみに振り回される私は、どこへ向かえばいいんだ?」

と、途方にくれていました。

 

その疑問に対して、私の出した結論は

最早私は親よりも大人になった。自分より弱い立場の人間の過ちを、それをせざるを得なかった事情を考えて、許す。

です。


容赦のない子供、事情を察する大人

子供の、親に対する視点というのは、容赦がありません。ストレイツォ容赦せん!なのです。

「事情?そんなもん知るか!!!!!どんな事情があろうと、自分をあんな育て方をしていい理由にはならない!!!!!!」

子供はそれでいいんです。無力で自分ではできないことだらけなのだから、理屈抜きで親に受け入れてもらう必要がある。

そして、親に受け入れてもらえないまま大人になった人が、子供のもつ容赦のなさを持ち続けているのも当たり前で、無理からぬことです。

 

でも、自分のことをよく見てください。もう、あなたは無力な子供ではないんです。努力家で、公正で、知識もあって、常に成長しようと前を向いて、実際に成長もしてきたあなたは、まだ、みじめな子供のままでしょうか?

もう、一人の大人として、親を見ることができるんじゃないでしょうか?

一人の大人として、親を見た時、彼らはどんな人間でしょうか。

 

とてつもない力を持っていて、自分の領域に踏み込んできては、自分を痛めつけてくる圧倒的な存在ではないはずです。

自分に自信が持てず、いつも不安で怯えているちっぽけな一人の人間が、大人になったあなたの目には見えるはずです。

そのちっぽけな人間より、深い人間性と正しい知識を持ったあなたは、その人をどうしようと思いますか?
あなたが一人の大人として親と対峙した時、あなたは、もう、親を、怯え切ったその人を、容赦なく責めることはできないのではないでしょうか。

 

親を許すコツは、子どもの視点から親を見ないことです。

 

 

あなたの健闘を祈る

毒親に育てられた人間が、「親を許せ。」と言われたら、怖いと思います。自分の辛かった過去が否定されたような気持ちになるかもしれません。私に対して否定の感情が湧いてくるかもしれません。*10

でも、私は“許す”ことの大切さを書いてくれた人がいたから、親を許すことができた。*11

私の中で、いくら親を許す準備が整っていても、“許す”という選択肢を知らなければ、恨みの感情を抱いたまま、こんなにも楽しい毎日があることも知らずに生きていたはずです。

だから、私は書かなくてはいけない。

自分の言葉でこれを書くことで、それが誰かに届くと信じて、書かなくてはいけない。

これを書くことで、私は受けた恩を、他の人に返します。

 

Good Luck!

(おしまい)

 

 


このエントリはねー!夜中のにじよんじゅっぷんくらいに目が覚めて朝までかけて下書きの下書きをしたんだよー!
今日は往復2時間車を運転しなくちゃいけないのに、3時間寝てないなんてつれーわー…マジつれーわー…

 

なーに!キン肉マン二世のOP聞いときゃだいたいなんとかなる!!!!!!!

 

【FULL】キン肉マンII世 OP 「HUSTLE MUSCLE」


毒親許せとか言われてマジ腹立った!」ってお前もキン肉マン二世のOP聞け!!!キン肉マン二世のOPをー!!!!
「傷ついて倒れそうなときにィはァ~~~~ 遠い日の記憶」…はろくでもねぇから、
「寂しさがあふれそうなときにィはァ~~~~~ やがて来る奇跡たちに微笑んでーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」って歌ってたらWOW WOW WOW!!!!!!ってなってくるから。

 

▼時代は!!!!Get You!!!!!!!!!!!

*1:結構現役?あんまり見ないから知らんけど。

*2:“情けは人の為ならず”ということわざが、「情けをかけることはその人のためにならない」と誤用されだしたことも、なかなかに示唆的です。

*3:食い過ぎ、毒よ。分からない人はマシュマロテストでググってね!

*4:「ほ~ら!‼!私は幸せだから!!!!幸せになってやった!ざまーみろ!!!!復讐だ~~~~!!!!」とかやってるうちは幸せじゃない。本当に幸せならそれを人にアピールしてる暇はない。

*5:これが、ノーガードでノーダメージ。

*6:ちなみに蹴ったのは全部自分に跳ね返ってきます。なんだ、ただの地獄か。キュウレンジャー第5話「9人の究極の救世主」感想 ー夢を諦めないとはー - gentle avenger の冒険 参照

*7:大概は怒りという形で現れる。

*8:親を許そうと決めたのが今年の2月3日の話。今3月15日。1ヶ月ちょっとで劇的に変わった。

*9:実際の所は、鍔迫り合ってる状態で自分の辛さを認めることはできません。鍔迫り合うのに必死でそっちに目を向ける余裕なんてないから。

*10:湧いとけ湧いとけ。大丈夫だから。

*11:最初は私もその人の事を否定した。一回逃げました。テヘー!

キュウレンジャー第5話「9人の究極の救世主」感想 ー夢を諦めないとはー

特撮・アニメ感想

わーい!!!またブログネタがキラッと閃いたァ!!!!!!!!!*1三十六です!!!!!!!

 

公式によるネタばらしに泣いた第5話でしたが*2スーパー戦隊のロゴがテレビに映り「テュラーーン!」みたいな音が鳴った瞬間、私のIQは一瞬で0になり、ばらされたネタは意識から消え失せ、フロー状態でキュウレンジャーを見ることができました。

心頭滅却すればネタばらしもまた涼し!!!*3

 

ラッキーの夢は食べきれない

私が今回一番印象的だったシーンは、なんといっても!!!!ユメパックンがラッキーの夢を食べて戦意喪失させようとした所です。

 

ユメパックン 「お前の夢、ァ、食ってやる!(ズオォォーーー)」

ラッキー 「もっと食えよ!!!!!ハラ減ってんだろ!!!!!俺の夢はな!ジャークマターをぶっ倒して宇宙を救うことだーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

ユメパックン 「こっ…この夢デカすぎるゥゥ!‼!お腹いっぱいパク~~~~~!!!!(ラッキーの夢を食べ過ぎて風船になって飛んでいく)」ちゅどーん(爆発)

ラッキー 「俺の夢!どんなもんだァ!!!!!!」

 

出たーーーーーーー!!!!!ノーガードでノーダメージ出たーーーーーーーーーー!!!!!!!*4

 

まぁー多分「わーラッキーって本当無茶苦茶だよー!」って笑うシーンなんでしょうけど、号泣!!!!!オレ!!!!!!!でしたね。*5

 

ラッキーは、何があっても自分の夢を諦めないんでしょうね。ラッキーの夢は、人から何を言われてもしぼんだり、傷ついたりしないのでしょう。

ラッキーは「自分は夢を叶えられる!!!!」と信じているのです。「俺はジャークマターをぶっ倒せる!」と信じている。

根拠はありません。だから折れないのです。

だからユメパックンはラッキーの夢を食べきれないのです。

 

もしラッキーが「俺は強いし~、運もあるし~、人から好かれるし~…(略)…だから俺はジャークマターをぶっ倒せる!」という信じ方(根拠がある)をしていたとしたら、ユメパックンはきっと、おそらく、ラッキーの夢を食べつくせたと思います。

 

ラッキーは宇宙で一番強くはない。ラッキーは別に特別ツイてもない(私の持論です*6)。ラッキーはどっちかというと第一印象悪い。……

「そうだよ!!!!だからどうした!!!!そんなの関係なく、俺は“ジャークマターをぶっ倒す”がしたいんだよ!‼!そして、俺にはそれができる!!!!!!!」

したいからする。そして、自分にはそれができると信じる。ただそれだけ。

根拠なんて、最初から投げているのです。したいかしたくないか、それだけ。

 

ラッキーは人を信じるのにも自分を信じるのにも、根拠を必要としません。それはひとえにラッキーの心が強いからです。

 

人はなぜ自信に根拠を必要とするのか?

ラッキーはなぜ根拠なく自分を信じることができるのでしょうか。

それは、心の中に自分しかいないからです。

 

えっ、そんなの誰だってそうでしょ?じゃぁねーんです。

人の目を気にする人の心の中には、沢山の“自分以外の人の声”が鳴り響いています。

 

私には漫画家になりたいという夢があった。そんな私の心の中には沢山の“自分以外の人の声”がざわめいていた。

「今時、あなたより絵がうまい人なんてごまんといる。」

「バクチみたいなもんだよ。」

「才能がものをいう世界だよ。」

「親は途方に暮れるだろうなぁ。」

「あれっ?そもそもあなたは絵がうまいの?」

私は、それらの声に対抗して、自分が夢を叶えられる根拠をかき集めました。

でも、根拠を用意すればするほど、夢は霞んでいった。そして、私は一作もまともに漫画を描き上げることなく*7、完成しないイラストばかりを描きながら、だんだんと、夢を諦めていったのです。*8

 

根拠は、“人の目”に対する防御です。

 

人の目とは?

では、私の心の中の奴らはどこから私の中に入ってきたのでしょうか?

入ってきたのではありません。

奴らは、私がおびえて、人を先制攻撃したときに生まれたのです。

 

私が自分に自信をもてず、「あっ、あの人はダメだ。(だから私は大丈夫。ヤッター)」と人を先制攻撃したその視点が、後に私を刺すのです。

 

人の目を気にしているとき、私はその“目”が他人のものだと思っています。

でもそれは全て、過去に、私が人に向けた“目”なのです。

 私の心の中で、さかしらにものを言ってきたあいつらは、全部自分だったのです。

 

ラッキーはなぜノーガードでノーダメージか

ラッキーは人を批判して安心する必要がない。

そして、批判しなければ批判されることもないのです。

だから、どこまでも自由に、ノーガードでしたいことだけしていられる。

自分のしたいこと、夢にまっすぐです。

 

夢にグダグダな過去の私を見たら、ラッキーはこういうでしょう。

「やりたいならしろよ!!!!!!できるさ!!!!!!!!好きなんだから!!!!」

「えっ?やりたくないのか??じゃあやめとけ!したくないことする必要なんかねぇ!!!!!!」

「結局、やりたいのかやりたくないのかどっちだよ。よくわかんねぇぞ!」

シンプル。

 

だからアレですよ。例えば、漫画家になりたい人は、人の漫画や絵を見て、「あっ、この人はへたくそ。」「あっ、この人はセンスない。」「あっ、この人は絵柄が古臭い。」「あっ、この人はコマ割りで視線誘導できてない。」「あっ、この人は…」とか考えるのを即刻!やめましょうね。

それ、全部あなたが描くときに自分に向かってきますよ。

描く前に知識詰め込むのもやめましょう。人を批判するネタ仕込んでるようなもんです。新しく得た知識で人を批判したらしただけ、描けなくなります。

経験者は語るぜぇ?(笑)聞いとけぇ?(マジでマジで。)

 

夢を諦めないとは

人は、生まれ落ちたその時が一番“自分”らしいのかもしれません。

成長すればするほど、“自分”を諦めてなくてはならない(っぽく感じる ※大事)ことが増えていきます。そうして、大人のふりをして、“自分”を諦めるたびに、一番近いはずの“自分”からどんどん、遠ざかっていきます。

大人のふりして諦めたら奇跡のなぞなぞがとけねぇんだよォォォーーーーーー!!!!!!!

とまれ、そうこうしてる内に、自分が何をしたいのか*9、何が好きなのか*10、わからなくなっていく。自分の事なのに。

 

夢を諦めないとは、自分自身であり続けるという覚悟です。

 

 

ラッキーは希望

夢を諦めたことのある私は、どこまでも夢にまっすぐなラッキーの姿を見て、「自分もこうありたかった。」と泣きました。

見てるときはなんで自分が泣いてるかも分かってません。

でも、涙の理由を考えていったとき、私は夢にまっすぐでいられる勇気と覚悟が欲しかったのだと分かりました。そして、大人になったからって夢を諦める必要がないことも。

 

ラッキーは言いました。

「俺!わかった!俺たちが戦うから、みんながジャークマターと戦えると思える!!!!希望が生まれるんだ!!!!」

ラッキー、本当にそうなんだ。

ラッキーの、夢を諦めないその姿に、私は確かに希望を見た。

 

見たんだ!!!!!!!!!!!!!

(おしまい)

 

 

▼見たんだ!!!!!!!!!

*1:覚悟だけでなく他の何かもキマっている可能性。

*2:おいマジで私は怒ったぞ - gentle avenger の冒険 参照

*3:でも公式がネタばらしはマジでやめろ。おばさん、激昂仮面のおじさんになっちゃうよ。

*4:キュウレンジャー第2話「いくぜっ!怪盗BN団」感想 -人は自分を信じる人間のことを裏切れない- - gentle avenger の冒険 参照

*5:私がこうやって書いているとき、冗談抜きでマジで号泣しながら見ています。号泣する私に気づいて息子も「どうしたらいいかわかんねぇ。」みたいな顔してましたね。

*6:キュウレンジャーは何がすごいのか? -テーマ考察- - gentle avenger の冒険 参照

*7:描き上げられるわけありませんよね、だってはじめて描く漫画なんて上手に書けはしないのですから。心の中の奴らになんて言われるかわかったもんじゃありません。夢を諦めないために、描き上げることから逃げる、という訳の分からんことをしていたのです。

*8:あっ、今は心の中の奴らをだいぶぶっ殺せてきたんでまた夢を追いかけまーーす!多分!チョリーーーーース!!!!!!!

*9:自分がスタバに行ったのは、行きたいから?インスタに乗せたいから?

*10:自分がこの漫画が好きなのは、好きだから?流行ってるから?

大人は子供に期待するな、覚悟を決めろ ーラッキーの言動が私の魂を揺さぶる訳ー

心の話

よっしゃラッキーーーーーーー!!!!!!!!!キュウレンジャーを愛し!!!!!キュウレンジャーに愛された女ァァァァァ!!!!!!!オリオーーーーーーン!!!!!(ボゴォ!)三・十・六です!!!!!!イェェェェェェッェェェッェエェイ!!!!!!!!

 

キュウレンジャー第5話の感想の前に、覚悟と期待の話をキリがいい所まで進めておきたいと思います。

 

期待と覚悟はどういうものか、読んでない人や「どんなだっけ?」って人はこちらのエントリを先に読んでおいて下さい。長いけど面白いよ!多分!

 

gentle-avenger.hatenablog.com

 

子どもに期待する大人

先週末、息子の友達を誘って、息子と3人で近所の公園で遊んできました。

 砂遊びをするための道具と、しゃぼん玉のおもちゃを持って、汚れてもいい服装で、スニーカーを履いて行きました。

スニーカーなんて、何年ぶりに履いたでしょうか。今まで私は、公園に行く時でさえ、パンプスでした。公園に、小綺麗にして行っていました。
そして、子供が何かするたびに「ちょっと、汚い!!!やめて!!!!!」「何してるの、やめなさい!!」とか言っていたのです。

…。
……。
………。

大人が子供に期待してんじゃねェェェェーーーーーーー!!!!!!!!!!!*1


覚悟を決めとくんだよォォォォォーーーー!!!!!!!!

 

 「子供の服が汚れたらどうしよう。自分の服が汚れたらどうしよう。」→ 洗たらええーーー!!!!そもそも汚れてもいい格好で行けーーーーー!!!!!


「子供の靴、濡れるかもしれない。下手すりゃ泥だらけになる。」→ 洗たらええーーーー!!!!!


「子供の服が擦れたり破れたりしたらどうしよう。」→ 買えーーーーーーー!!!!!!


「これお気に入りの服だけど、同じのまだあるかな。」→ もっと気にいるやつ探せーーーーー!!、!!ウキウキショッピングしろーーーーーー!!!!!!


「砂だらけ泥だらけになる。」→ 風呂入れーーーーーーー!!!!!


「そんなんで乗ったら車汚れる。」→ 掃除したらいいんだよォォォーーーー!!!!!てかお前の車は既に常に汚ねぇだろうが!!!!!むしろ掃除しろォォォーーーーー!!!

 

「危ない事したがる。」→ 本人ができると思ってんだからやらせるんだよォォォーーーー!!!!!子供だってアホじゃねぇんだよォォォ!!!!!できねぇなら怖がってやらねぇんだよォォォ!!!!お前は何かあった時下で受け止める準備だけしとけーーーーーーーー!!!!!!

 


とにかく「何が起こっても俺が全部なんとかする!!!!」と決めておくのです。

そうすれば、何が起こっても「どうすればこれを解決できる?」と、下ではなく前を向くことができるのです。

 

起こるのを恐れている事って、解決方法は恐ろしく単純です(そして大抵時間も大してかからない)。「それをやる!ケツは俺が持つ!」と覚悟完了してから遊びに行くのです。

大丈夫!お前にはそれが起こった時それを解決する力がある!!!ある!!!!あるんだーーーーーー!!!!、!!*2

 


一人で勝手に子供に対して「私が汚いと思わない範囲で遊んで欲しい。私が心配しない範囲で遊んで欲しい。」って期待しない。

そんなもん子供は知らん。知ってたとしてもそれをきっちり守るなんて子供には無理だ。だって子供だから!!!!*3

 

 

覚悟を決めて遊ぶ

覚悟を決めて遊びに行ったら、めちゃくちゃ楽しかったですよ。私 が めちゃくちゃ楽しかった。

 

一緒に砂遊びして(トンネル付きの山を2つ作って連結させた←大人の本気)、砂ぶっかけられてしゃぼん玉浴びて「ハハッ!やめろよ!(イケメンボイス)」って笑ってたら、なんか子供の頃の感覚を思い出しました。

砂場でトンネル掘って川と繋げてたら、何かが埋まってて、それをみんなで(知らん子も一緒に遊んでた)協力して掘り起こしたら大人用のスリッパだったんですよ!!!!!「うわーーーなんだこれヤベーーーー!!!!!ここで何があったんだよーーー!!!(笑)」って、目茶苦茶面白かったです。

トンネル掘るのにちょうどいい木の枝を私が見つけてきたら、私と子供で取り合いですよ。楽しいです。

 

お菓子も持って行ってレジャーシートで遠足みたいにして食べました。

おやつは200kcal前後のものを時間を決めて食べる。って普段はしてますけど、今日それを言うのは野暮の極み乙女。でしょう。

息子は友達とお菓子交換しあって食べて、しばらく遊んでまた食べて、私もお菓子もらって一緒に食べて、最後にみんなで屋台?のアイス食べて、最高でした。
カロリー?知らん。でも、子供だってそれで腹がはち切れるまでおかし食べたりはしなかったですよ。

 

結局、1時間ちょっとで帰る予定が2時間半になってしまった。

楽しい時間はあっという間です。 

 

ラッキーは本当の大人 

で、帰ってしばらくしてから、「今までの私は子供に期待してたんだな。」と気付いた訳です。

 

それで、私が第3話のラッキーのセリフ、

「俺が全部なんとかしてやる!!!!!!!!チャンプの敵討ちも手伝う!!!!!!この星の爆発を止める!!!!!!そして、お前をキュウレンジャーの仲間にする!!!!!!!!」

に訳の分からないまま*4心を鷲掴みにされた理由がわかった。

 

ラッキーは、本当の意味で大人なのです。


本当の大人は、覚悟が決まっているのです。

子供に対して「お前は何も気にせず好きなようにやれ!それで何が起きても俺が全部なんとかしてやる!!」と言えるのが、本当の大人なのです。

私は、子供の頃、そんな大人にいて欲しかった。そんな大人に見守られて、好きなことをしていたかったのです。*5

そんな、子どもの頃漠然と憧れていた大人像とラッキーとが、あのセリフで繋がって、私は強烈に心が動かされたのです。

 

 

スーパースター☆シシレッド

私はラッキー程、主人公としての魅力に説得力のあるキャラクターは、他にちょっと思いつかない。*6
私は、ガウやBN団やチャンプやスパーダやラプターやスティンガーやハミィ(ハミィはまだラッキーとのエピソードないけど)と同じ気持ちで、テレビの前でラッキーを見ている。

彼らがラッキーに惹きつけられたのと同じように、ラッキーに惹きつけられている。

 

そして私は、ラッキーのような人になりたい。*7

ラッキーは私のスーパースターです。

 

シシレッドをスーパースターって銘打って、本当にこんな奇跡みたいなキャラクターを産み出したの、すごすぎると思う。

「こいつのどこがスーパースターやねん。」感0。説得力の塊。(ドラマ孤独のグルメ風)

 

 

gentle-avenger.hatenablog.com

 

私は、このエントリで、「ラッキーというキャラクター、及びキュウレンジャーのテーマに子供への愛を感じる。」と書きましたが、今は、一緒に見ている親にも、その愛は向けられていると感じています。

 

「子供育てるって色々大変だろ。心配しすぎて子供を縛っちゃう気持ちも分かるよ。でもラッキーと仲間たちを見てみろよ。ラッキーは覚悟決める&仲間を信じる以外、何もしてないのに(無神経に好きなことやってるだけ)、それで仲間はみんな最高に輝いてるし、大変なことにもなってないだろ?」

と!!!!!!!*8

 

おいィィィィ!!!!!その愛確かに受け取ったぞ!!!!、!私は覚悟決めて子供を信じて自分が遊んでただけだったけど、公園で好きなように友達と遊んでいた息子は最高に楽しそうだった!!!!輝いていた!!!!!!

 

さぁ!私にもっとラッキー達の冒険を見せてくれ!!!!!!

そして、私にもラッキー達と一緒に、今まで怖くて、恥ずかしくて、寂しくてできなかった数々の小さな冒険を、テレビのこちら側でさせてくれ!!!!!!!!!*9

 (おしまい)

 

 

多分、寝てる間に色々考えが整理されてるんでしょうね。

夜中にガカァ!!!と目が覚めて「分かった!!!俺は今までずっと子供に期待してたんだぜ!!!!」となって、このエントリの下書き書き始めて、今5時です。

私は虚弱なタイプのイケメンなので、睡眠は大事なのに興奮して寝れない。

 

▼今回はかなりキュウレンジャーの感想ブログっぽい記事だっただろ!押してね!

*1:期待とは、本来的には子供がするものだと思います。詳しくは別エントリで書きます。

*2:てか冷静に一個一個検討したら、別に普段でもやってるようなことでそれらは解決できると分かります。

*3:唯一にして絶対の“事情”です。

*4:ハッキリ言ってマジで何言ってるのか意味不明だった。あんなセリフどうやったら書けるんだ…。

*5:あっ、今は自分で覚悟決めてやりたい事やってるんでシクヨロ〜〜〜!!!命がけで欲しけりゃこの手で掴みますよ!!!!私はもう大人だからね!チョリーーーース!!!!!

*6:あえて言うならドラゴンボールの悟空か…?

*7:ラッキーになりたい、ではないですよ。私はラッキーにはなれないし、ラッキーも私にはなれない。

*8:最早どこまでが作り手の意図でどっからが私の怪電波受信によるものか分からない状態。キュウレンジャーとのシンクロ率上がり過ぎ問題。

*9:ブログタイトルへと続く。