gentle avenger の冒険

キュウレンジャーの感想を心の話を軸に書いてます!セイ!ザ!チェンジ!!!!

キュウレンジャー第2話「いくぜっ!怪盗BN団」感想 -人は自分を信じる人間のことを裏切れない-

よっしゃラッキーーーーーー!‼!‼!‼!今日は3人(内1人は自分)ブログに来てくれたぜェェェ!‼!‼‼‼‼‼!三十六です。

 

「自分のブログはGoogle検索何ページ目かな?(*бωб*)こんな熱量のあるブログ、Googleがほっとかないよね!」と「キュウレンジャー 感想」で検索してみたら私のブログはいつまでたっても検索結果に出てきませんでした。

よっしゃラッキーーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ブログを書く楽しみの他にGoogleに表示される楽しみまであんのか‼︎‼︎‼︎‼︎胸が踊るなァァ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎!

 

 とまれ、そこで初めて私は人のキュウレンジャー感想を読んだんですが、感想が人によって全然違うのが面白かったですね。

私は感想を書いてる時こそ理屈捏ねてますけど、実際見てる時はIQ0以下で見てるんで、「キュウレンジャーの面白さは理屈じゃない‼︎‼︎‼︎‼︎!」と思っていたんですよね。でも、当然ながらキュウレンジャー面白くないって人もいるんです。「なるほどーーー‼︎‼︎‼︎‼︎俺が最高におもしれぇと思うポイントがある人にとっては面白くねぇポイントだったりするんだな‼︎‼︎‼︎‼︎!おっもしれ‼︎‼︎‼︎!!(チャンプ)」ですよ。

 

 かと思ったら、「夢みるアンドロイド」について自分とほぼ同じ感想を書いてる人のブログもあったりするんです。「お前が俺の心の友か‼︎‼︎‼︎!(一方通行)」と思って、1〜3話の感想も読んだんですよ。*1

d.hatena.ne.jp

で、この↑感想を読んだときに、「そうだよ!ラッキーって”信じる”力も並外れてるよね!‼!‼‼!わかるわかるー!やっぱお前は俺の心の友だな!‼!‼‼‼‼!(独り言)」と思ったので、当エントリでは”信じる”を軸に第2話の感想を(今更)書いていきたいと思います。(ちなみに内容は↑のリンク先に書いてあることとほぼ同じです。ただ自分もそれについて書きたかった。)

 

根拠をめぐる二つの“信じる”形

今さっき会ったバランスから敵のガメッツィに売られたラッキー。自分より付き合いの長いナーガがバランスが助けに来ることを諦めてるのに、ラッキーは「俺はバランスを信じる!‼!‼!‼!」とか言っています。

ラッキーがあったばかりのバランスを信じる根拠は?ありません。
「バランスは仲間だから。」という信じる理由があるだけです。

 

ここで私たちは思います。「根拠なく信じるってアホなの?」と。でも、よくよく考えてみると根拠なく信じるってこれ以上ないくらい信じてる。


“根拠なく信じる”の反対は、“根拠があるから信じる”です。これは何となく常識的な感じに聞こえる。「わかる。」って感じです。
でも、「信じるに足る根拠を探して、根拠があったなら信じるけど。」って姿勢、疑ってるのと何が違うのって話ですよ。


「信じてええんやな?裏切らないんやな?信じた俺を傷つけるようなことはしないんやな?じゃあ、お前を信じる。」
思いっきり相手に要求してますよね。

 

「俺はお前を信じてるから、お前は俺が信じてる通りの事をしてくれよ(しないのではと疑ってるからこそ出てくる懇願)!」

懇願通り越して「信じてるぞ!お前がもし俺を裏切ったらこの信頼を失うぞ!それでもええんかお前コラ!!」みたいな脅しになってたりね。

“信じられた”方は、「そんな信頼いらんわ!」とあっさり裏切るでしょう。そもそもそれを裏切りと呼べるのかどうかも怪しい。そんな粘ついた“信じる”、払いのけたくなるに決まってるから。

 

根拠のない“信じる”の軽やかさ

ラッキーはバランスを「俺は信じる!」事にした。根拠?ねぇ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎(やったーカッコイイーーーー!!!)

バランスは結局ラッキーとナーガを助けにきましたけど、もし仮にバランスが助けに来なかったとしても、ラッキーはバランスを恨まなかったはずです。「あれ?そっか。」とか言いながらラッキーが起こるまでなんやかやして脱出するんじゃないですか?

 

ラッキーは、バランスを信じる代わりにバランスに何かを要求するような信じ方をしていない。

ただ、信じた。それだけです。

 

助けに来ると信じているけど、助けに来てもいいし、助けに来なくてもいい。どっちでもいいんです。バランスの自由です。どっちにするかは完全にバランスに委ねられています。バランス次第です。バランスが決めなくてはいけません。*2

 

ラッキーを裏切るのは自分を裏切るのと同じ

そんな信じ方をされた時、人は(アンドロイドだけど)その信頼を裏切る事ができるのでしょうか?

 自分以上に自分の善性(助けにくる!)を信じているラッキーを裏切るって、それはもうバランスにとって自分を裏切るのと同じ事ですよ。

 

自分以上に自分を信じている人間がいる今!!!この時!!!それ*3ができないのなら、多分もうこの先一生自分にはそれ*4はできんでしょう。

それは、自分のことを完全に諦めるって事です。

 

自分のことを諦めたら、人は生きていけません。

人は「俺ってクズだから。」と言っている時でさえ自分のことを諦めてはいませんよ。

でも、「確かにお前がやってる事はクズだね。でもお前はクズじゃない‼︎‼︎‼︎‼︎」って自分の事を信じてくれている人間がいて、そいつを裏切った*5としたらそれは「マジでクズ確定でぃーーーすぅ☆☆シクヨロちゃ〜〜〜ん‼︎‼︎‼︎」ですよ。
そんななんの期待もできない自分を抱えて人は生きてはいけないんです。

 

人は(アンドロイドも)自分のことを根拠なく信じている相手を裏切ることは絶対にできない。その信頼には否応無く応えてしまう。

(ガウの時は、ラッキーはガウが過去の絶望・恐怖を乗り越えられると信じていましたね。根拠なく。結果、ガウは立ち上がった。ガウは自分が信じていない自分の勇気を信じてくれるラッキーを裏切れなかったのです。)

(スティンガーも「あいつは!お前の敵じゃない!俺にはそれが分かる!」「キュータマを持っている奴に悪い奴はいない!それだけだ!」っていうラッキーの根拠のない“信じる”にグラついてる感ありましたね。)

 

結局、ラッキーのラッキーはラッキーが作り出してる

バランスがラッキー達を助けに戻ってきたのはラッキーだった。でも、そのラッキーはラッキーが自分が裏切られても構わないという姿勢でバランスを信じ抜いたからこそ起きたものなんですね。
ラッキーの周りでラッキーが勝手に起こっているのではないのです。ラッキーの行動の結果、それが引き起こされているのです。

ラッキーのラッキーは偶然ではない。必然です。

 

ガードしない奴を傷つけることはできない

ラッキーの心はいつでもノーガードです。ラッキーは自己防衛しない。傷付かないからガードする必要がないのです。

人を信じた結果裏切られても構わない。信じた人間に裏切られても、それで自分の価値が下がるなんて微塵も思わない。だから怖くない。
誰も、何事も、ラッキーの心を傷つけることはできないのです。ダイヤモンドは傷付かない‼︎‼︎‼︎‼︎


だから、ラッキーは自分の心を度外視(ノーガード)して行動できる。

ガードを下げて相手にぶつかっていくから相手のガードの内側に入り込める。
ガードを下げているからラッキーを掴むまでチャレンジを続けられる。
ガードを下げているから自分に正直に自分のやりたい事をやりたいようにできる。

ラッキーはノーガードでノーダメージなのです(※ヒットはしてる)。

 

覚悟のススメ

根拠なく信じる。結局これも覚悟の話でした。
ラッキーは全てにおいて覚悟が決まっている。覚悟ガン決まり野郎なんです。

 

自分が信じた結果、相手が裏切ったとしても自分で何とかするんです。仲間を信じているけど、期待してはいないんです。

 

何をするにもリスクはある。自分が傷つくんじゃないか、損するんじゃないか、なんかよくないことが起こるんじゃないか…。どこまで考えても、そのリスクが0になる事はありません。

リスクに対する不安に捕らわれたら人は何もしないことを選択する。やらない理由を探し出したらいくらでもある。

だから、考えてわかんないことは即行近づこうSpace Journey‼︎‼︎‼︎やらない理由とか探さずに‼︎‼︎‼︎‼︎なんです。

 

リスクを自分で引き受けると覚悟を決めて行動した者に、諦めずにチャレンジし続けた者にラッキーはやってくるのです‼︎‼︎‼︎‼︎

リスクは覚悟を決めた瞬間、“解決不可能な圧倒的悲劇”から、“自分でどうにかできる出来事”に変わるのです‼︎‼︎‼︎‼︎

覚悟のススメ!!なのです(言いたかっただけです)。

 

(おしまい) 

 

▼ 今回の記事もよく書けました!!頼む!押してくれ!

*1:自分とは正反対の感想がある一方で、自分とほとんど同じ感想もある。それもまたおっもしれ!でした。人それぞれだし、自分の意見が特別でもないし。みたいなね!

*2:“根拠があるから信じる”の場合は自分でどっちを選ぶか決める必要がないんですね。拒否すればいいだけだから。“根拠なく信じる”の場合、バランスは試されているんです。ラッキーにではありません。自分に、試されているのです。

*3:先に裏切った自分が裏切り返されるかもしれない恐怖を投げ打ってラッキーやナーガのことを信じる=助けに行く

*4:人を信じる

*5:この場合の裏切る、とは、自分のダメな所と向き合ってクズじゃない自分になる努力を放棄すること。相手の信じた自分を自分自身も信じる事を放棄すること。です。