gentle avenger の冒険

キュウレンジャーの感想を心の話を軸に書いてます!セイ!ザ!チェンジ!!!!

“恨み”とは自分の人生をかけた復讐 ーもう一つの幸せでgentleなやり方ー

どうも~三十六です~。

昨日のエントリに私、「大人のふりして諦めたら奇跡のなぞなぞがとけねぇんだよォォォーーーーーー!!!!!!!」って書いたんですけど、「ン?歌詞あってたっけ?奇跡だよね?」と思って検索したんですよ。
そしたら、「奇跡のなぞ な ど 解けないよ」だったんですよ!!!!!!!!!!!
30年越しの真実!!!!!!!「奇跡のなぞなぞ解けないよ~♪」ではない!!!!!!!
うわーーーーーー!!!!!!引用系ギャグで引用間違える!!!!!うわーーーーーーーーー!!!!!!
かわいいなーーーーーーー!!!!!!「なぞなぞ、とけないんだ!(*бωб*)」って思いながらドラゴンボール見てた私(3さい)かわいいなーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ふぅー!過去の自分がかわいすぎてビックリしたわー!なんも恥ずかしくなんかねぇわー!


さて本題。

人によっては結構怖い話だから、読む時は覚悟決めて読んでね!

 

「死んだ〇〇は復讐なんて望んでいないぞ!」は何故陳腐化したか

刑事ドラマとか2時間ドラマとかで、「死んだ〇〇は復讐なんて望んでいないぞ!」ってセリフ、ありますよね。

 

このセリフ、最近は「望んでますけど???(by 死者)」「お前が勝手に決めるな!」みたいな感じのツッコミを入れたギャグでしか使われなくなりました。*1

 

少なくともネットでは、「ハァ?何言ってんのwwwww」的扱いのセリフですが、これ、もともとはギャグにして茶化される程人口に膾炙したセリフなんですよね。

つまり、このセリフがまだ確かな説得力を持っていた社会においては、「ガーーン!その通りだ!!」とみんなが感じる何かが、このセリフにはあったのです。

しかし、今このセリフを聞いて、その何かを感じ取る人はいない(少ない)でしょう。このセリフの扱われ方を見ているとそれが分かります。

社会から、このセリフに説得力を感じるために必要な、“何か”が失われたのです。

“何か”が失われた社会で、このセリフは急速に陳腐化したのです。


失われた“何か”を探せ

人は長い歴史の中で、怒りや恨みに捕らわれることのデメリットを発見し、そうならないために人を許すコツを宗教やことわざなどで共有してきました。

怒りや恨みに捕らわれた人間の幸福度はダダ下がりします。

「憎むことでいつまでもあいつに縛られないで!!!!!」と中島みゆきも言っていますが、人は、憎い相手を、自分の人生をかけて恨んでしまうのです。人生を恨みで浪費してしまうのです。恨みとは、破滅的なものなのです。

そこで、人々は「お互い様。」と考えてみたり、「情けは人の為ならず。」と言ってみたりしながら、人を許し、怒りや恨みに捕らわれることを避けてきたのです。*2

 

その社会の在り方が変容せざるを得なかったのは、やはりインターネットの台頭によるものでしょう。

ネットには、許す必要のない見も知らぬ“間違った人”が無限にいます。

狭いコミュニティで毎日顔をつき合わせるわけでもなし。“そいつ”を許さなくても、私たちにはなんの支障もない訳です。

そうなったら人は、相手を許して得られる深い幸福・自信よりも、相手を叩いて得られるインスタントな自己承認を求め始めます。

我慢して頑張って後で2個マシュマロを食べずとも、1個のマシュマロを今食べまくれる世界が現出したのです。*3

 

社会から失われたのは、“許す”という姿勢です。

 

死んだ〇〇は復讐を望むか?

“許す”という寛容さを失った社会で、人はあまりに怒りや恨みに慣れてしまって、そのデメリットも当たり前のものになってしまった。人生とは、つまらなく、イライラと怯えながら、不幸から目をそらしながら過ごすものだということに、なんの疑問もなくなってしまった。

物語の中で、大切な人を殺されて、犯人を憎み、恨みで人生を浪費する人間に「もっと幸せに生きろ!!!!」と思うこともなくなった。「死んだ娘さんは、お父さんが復讐のために自分の幸せを投げうったら辛いだろう。」と思うこともなくなった。

自分が殺されたとしたら、大切な人には犯人を憎み、恨みを抱えて人生を送って欲しい。そうでなければ自分の価値を信じられない。

そう、なってしまった。


恨みを抱いた人が幸せになるために

憎い相手は許すしかないのです。許して、あなたがあなたの人生を生きる事が、一番大事です。
あなたはその憎い相手を恨む為に生まれてきたのではないのです。人生を楽しんで、幸福に生きなくてはいけない。

 

憎い相手のためではなく、自分自身のために、相手を許さなくてはいけない。

そうして、あなたは幸せな人生を歩まなくてはいけない。あなたにはその価値があるからだ。

あなたには生まれてきただけで、幸福な人生を送る価値がある。

それを憎い相手ごときに邪魔させてんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!よく言うだろ、「幸せになるのが最大の復讐」って!!!!!!!!*4

 

あ、ちなみに許すって言ったって、仲良しこよしをしなくちゃいけないわけではないですよ。

相手と縁を切っていても、許すことはできます。


なぜ憎い相手は許せないのか

憎い相手を許すのは怖い。

相手が正しいのか、自分が正しいのか、の鍔迫り合いをしている時に、自分から刀を下ろすということだ。間違いなく斬られる、と感じる。斬られたら死んでしまう、と感じる。

実際の所、「南無三!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(多すぎ)」と刀を下ろしてみると、何故か斬られないし、もし斬られたとしても無傷だ。*5


それが分かった瞬間、先に刀を下ろした自分にものすごい自信が湧いてくる。

「これができたんなら自分に出来ないことなんてないんじゃねーか。」って気分になってくる。

今まで、鍔迫り合いで浪費していた全てを、自分のために使う事ができるようになる。

一皮剥ける。ふっきれる。生まれ変わったような気持ちになる。

いいことずくめだ。

 

んなこたぁ言われなくても分かってる。どっかで、確かに、分かってはいる。

でも、刀を下ろすのは怖い、怖すぎると風が囁いている。

 

そんな時、スマホSNSを見ると、“間違った”奴が、“アホのくせに調子こいた”奴が、“イケてねぇ”奴が、“政治的に正しくねぇ”奴が、まぁなんでもいいけど、目にとまる。

これはちょうどいい。鍔迫り合いを続けながら、空いてる足でそいつを蹴る。

「お前は間違ってる!お前の間違いを指摘する俺は間違ってない!」と蹴りまくる。*6

蹴っている間は、鍔迫り合いや「許したほうがいいんだろうな。」という考えから目をそらすことができる。

 

低い自己肯定感とは

憎い相手を恨んでいる時、人は「相手の方が悪い!」と確信しているつもりで、心の底では「憎い相手が正しいんかい、自分が正しいんかい、相手が正しいんかい、自分が正しいんかい、相手が正しいんかい、自分が正しいんかい…(エンドレス ※マジで)」と揺れまくっている。

 

この揺れまくりが、自分の価値を疑わせるのだ。

なんかちょっとあるたびに、一人で勝手にここが刺激されて、

「ギャーーーーーーーー!!!!!!!やっぱ自分が正しくないんかーーーーーーーーい!!!!!!」

「やっぱ俺には価値ないんかーーーーーーーーーい!!!!!!」

と騒ぎ出す。*7

 

そうなると、自分を守るため、自分にそう感じさせた相手を攻撃するような言動を取ってしまう。

「悪いんはお前やーーーーーー!!!!!!」

とやってしまう。

だから、人は自分を守ろうとした時、いらんことを言う。悪気は0。ただただ自分を守りたいだけ。

 

でも、された相手もまた根っこが揺れまくっていた場合は、そのいらんことに悪意を読み込んで

「ギャーーーーーーーー!!!!!!!やっぱ俺は正しくないし価値ないんかーーーーーい!!!!!!!」

と騒ぎ出す。

そして、自分を守るため相手を攻撃する。

 

そして、

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

「ギャーーーーーーーー!!!!!やっぱ俺には価値ないんかーーーい!!!!」

…エンドレス…

ツッコミ不在のエンドレスコント。

 

憎い相手は許すしかないのです。許して、あなたがあなたの人生を生きる事が、一番大事です。

 

私の恨み

私の場合は、親に対する恨みの感情を抱えて10年間のたうちまわっていました。


私にとって、親を許すことは簡単な話ではなかったです。

私だって、「私の父は エテ吉。母は アフリカの大地。そして私は ジャングルの王者ターちゃん!!!!!!!!!」ぐらいのことは思っていましたよ。いやだからつまり、自分はもう天涯孤独だってことにしようと思ってたってことです。

許す直前まで「そんなの絶対無理無理無理無理!!!!!!!うちの親はそんなんじゃないから!!!!!!!」と思っていました。

 

が、色々あって、「あれ?意外と…いけそうな…気も…してきた…ぞ…。」と感じ始め、許してみよう、と思えるようになった。

そして、自分の中で親を許せた瞬間、私の中から“毒親問題”は消え失せ、代わりに好きなことをしたいという気持ちが湧いてきました。 そっからは展開早すぎて、自分の変化に自分でついていけていない所もあります。

「え…10年頑張ってもできなかったことが気付けば次々にできている…。*8

という感じです。


それだけのことができるエネルギーを、私は「親が正しいんかい、私が正しいんかい、親が正しいんかい、私が正しいんかい…」に費やしていたという事です。

最初の頃こそ、許す前の感覚を思い出して、「あ、このエピソードは許せないかもしれない…。」と引き戻されそうになったりもしましたが、今は、キュウレンジャーの事ばかり考えているし、他にもしたいことが山積みで、毒親にされたことは正直、思い出している暇もないという感じです。

「したくないことはやりたくない。」とかじゃなくて、「したくないことができない。」過去の話を思い出してても楽しくないんで優先順位が下落しまくった結果、気づけば思い出していない。

 

私の10年間

10年間、揺れる根っこ(=低い自己肯定感)をどうにかしたくて心理学やらなんやら色々調べてきましたけど、親を許す事さえできれば、心理学やらなんやらの知識はいらんかったのです。

逆に、親を許す事が怖すぎて、なんとかそれを避けてどうにかなる方法はないのか?と心理学やらなんやらを調べまくっていたとも言えます。

 

許すことから逃げてきた10年だった。でも、その10年は無駄じゃなかった。根拠はない。そう決めた。

だから「私の10年を返せ!‼!」とかも別にないです。そんなこと思ってる暇があればキュウレンジャーの感想書きます。

 

五里霧中の10年間、私はずっと「私は、どうなったら“あがり”なんだろう?」と考えていました。

自他の境界線が引けたら?自己肯定感を得られたら?豊かな人間関係を築けたら?子供の頃、自分が望んだ親に自分がなれたら?…

まぁ、それは今でも分からないし、今の私が“あが”ってんのかどうかも分かりませんけど、最早それはどうでもいい。

ただただ毎日が楽しい。それだけです。
もし、今の私のこの状態がまやかしでも、私は一向に構わない。こんな幸せなまやかしなら死ぬまでまやかされていたい。

 

AC自認のその先

AC(アダルト・チルドレン)とは、医学的な用語ではなく、問題を抱えた家庭で育った人間がそれを自称することで、自分の問題認識を助けるためのものです。

親を“毒親”と呼ぶことも、同じような効果があると思います。

まず、「幼い自分は絶!対!に!悪くなかった。」ということを認識しなければ始まらない。そんな育てられ方をした人間というのは確実に存在するのです。

 

ただ、ACであることや、自分の親が毒親だったことを認識して、自分は悪くなかったことが腑に落ちて、自分の辛い・悲しい気持ちを認めて…のその先が私にはずっと見えなかった。*9

「一体、こっから私はどうしたらいいんだ。ACと自認しても、親を毒親と呼んでも、いまだ生きづらさを抱えて、自分を愛してくれる人たちを心から信じることができず、何かあるごとに発作のように湧き上がる親への恨みつらみに振り回される私は、どこへ向かえばいいんだ?」

と、途方にくれていました。

 

その疑問に対して、私の出した結論は

最早私は親よりも大人になった。自分より弱い立場の人間の過ちを、それをせざるを得なかった事情を考えて、許す。

です。


容赦のない子供、事情を察する大人

子供の、親に対する視点というのは、容赦がありません。ストレイツォ容赦せん!なのです。

「事情?そんなもん知るか!!!!!どんな事情があろうと、自分をあんな育て方をしていい理由にはならない!!!!!!」

子供はそれでいいんです。無力で自分ではできないことだらけなのだから、理屈抜きで親に受け入れてもらう必要がある。

そして、親に受け入れてもらえないまま大人になった人が、子供のもつ容赦のなさを持ち続けているのも当たり前で、無理からぬことです。

 

でも、自分のことをよく見てください。もう、あなたは無力な子供ではないんです。努力家で、公正で、知識もあって、常に成長しようと前を向いて、実際に成長もしてきたあなたは、まだ、みじめな子供のままでしょうか?

もう、一人の大人として、親を見ることができるんじゃないでしょうか?

一人の大人として、親を見た時、彼らはどんな人間でしょうか。

 

とてつもない力を持っていて、自分の領域に踏み込んできては、自分を痛めつけてくる圧倒的な存在ではないはずです。

自分に自信が持てず、いつも不安で怯えているちっぽけな一人の人間が、大人になったあなたの目には見えるはずです。

そのちっぽけな人間より、深い人間性と正しい知識を持ったあなたは、その人をどうしようと思いますか?
あなたが一人の大人として親と対峙した時、あなたは、もう、親を、怯え切ったその人を、容赦なく責めることはできないのではないでしょうか。

 

親を許すコツは、子どもの視点から親を見ないことです。

 

 

あなたの健闘を祈る

毒親に育てられた人間が、「親を許せ。」と言われたら、怖いと思います。自分の辛かった過去が否定されたような気持ちになるかもしれません。私に対して否定の感情が湧いてくるかもしれません。*10

でも、私は“許す”ことの大切さを書いてくれた人がいたから、親を許すことができた。*11

私の中で、いくら親を許す準備が整っていても、“許す”という選択肢を知らなければ、恨みの感情を抱いたまま、こんなにも楽しい毎日があることも知らずに生きていたはずです。

だから、私は書かなくてはいけない。

自分の言葉でこれを書くことで、それが誰かに届くと信じて、書かなくてはいけない。

これを書くことで、私は受けた恩を、他の人に返します。

 

Good Luck!

(おしまい)

 

 


このエントリはねー!夜中のにじよんじゅっぷんくらいに目が覚めて朝までかけて下書きの下書きをしたんだよー!
今日は往復2時間車を運転しなくちゃいけないのに、3時間寝てないなんてつれーわー…マジつれーわー…

 

なーに!キン肉マン二世のOP聞いときゃだいたいなんとかなる!!!!!!!

 

【FULL】キン肉マンII世 OP 「HUSTLE MUSCLE」


毒親許せとか言われてマジ腹立った!」ってお前もキン肉マン二世のOP聞け!!!キン肉マン二世のOPをー!!!!
「傷ついて倒れそうなときにィはァ~~~~ 遠い日の記憶」…はろくでもねぇから、
「寂しさがあふれそうなときにィはァ~~~~~ やがて来る奇跡たちに微笑んでーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」って歌ってたらWOW WOW WOW!!!!!!ってなってくるから。

 

▼時代は!!!!Get You!!!!!!!!!!!

*1:結構現役?あんまり見ないから知らんけど。

*2:“情けは人の為ならず”ということわざが、「情けをかけることはその人のためにならない」と誤用されだしたことも、なかなかに示唆的です。

*3:食い過ぎ、毒よ。分からない人はマシュマロテストでググってね!

*4:「ほ~ら!‼!私は幸せだから!!!!幸せになってやった!ざまーみろ!!!!復讐だ~~~~!!!!」とかやってるうちは幸せじゃない。本当に幸せならそれを人にアピールしてる暇はない。

*5:これが、ノーガードでノーダメージ。

*6:ちなみに蹴ったのは全部自分に跳ね返ってきます。なんだ、ただの地獄か。キュウレンジャー第5話「9人の究極の救世主」感想 ー夢を諦めないとはー - gentle avenger の冒険 参照

*7:大概は怒りという形で現れる。

*8:親を許そうと決めたのが今年の2月3日の話。今3月15日。1ヶ月ちょっとで劇的に変わった。

*9:実際の所は、鍔迫り合ってる状態で自分の辛さを認めることはできません。鍔迫り合うのに必死でそっちに目を向ける余裕なんてないから。

*10:湧いとけ湧いとけ。大丈夫だから。

*11:最初は私もその人の事を否定した。一回逃げました。テヘー!