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gentle avenger の冒険

キュウレンジャーの感想を心の話を軸に書いてます!セイ!ザ!チェンジ!!!!

キュウレンジャー第9話「燃えよドラゴンマスター」感想 ーなあ、勇気の話をしようじゃないかー

どーーーーもーーーーーー!!!!!!!!ムッチャツイテナインダベー三十六でーーーーーーーす!!!!!!!

 

先々週の日曜に、オギャーを抱いて階段を降りていたら、不運(ハードラック)と死の舞踏(ダンスマカブル)っちまったのを皮切りに、やることなすことツイてねぇツイてねぇ。あっ、オギャーは無事でしたよ!!!!代わりに私の右肩が逝きました!!!!!!!!!

最初は「オウシ!!!!!おっもしれぇ!!!!俺はこの状況を笑って乗り切ってやるぜ!!!!!ポジティブにやってりゃアンラッキーなことなんて続かねぇよ!!!!!!!」と思ってたんですけど、流石に途中から「俺って宇宙一ツイてねぇ~~~~~!!!!!!!!」って気分になってきましたね。
ちょっとボク今「よっしゃラッキー!!!」って言えない。言えないけど、「すべての涙は*1宝石に変えてやるぜ!!!!」の精神でやってまいりたいと思いまーーーーーーす!!!!!!!!!

 

そんなこんなでちょっと感想が前後しますが、第9話『燃えよドラゴンマスター』の感想から書きたいと思います。


キュウレンジャーの本領発揮だった今回。「これこれこれだよーーーーー!!!!!!!俺が特撮に求めてるのはこれなんだよーーーーーーーー!!!!!!」と魂が震えましたね。


今回の話は、“過去の失敗で勇気を挫かれたショウさんがもう一度勇気を出す”物語でした。
勇気とはなんだ?それは、伝説の戦士が強敵と戦う時にだけ出すものなのでしょうか?
ニセモノとは、本物とはなんだ?何がそれらを分かつのでしょうか?
第9話は、そんな事が語られた回だったと思います。

 

ショウさんの悲しい過去

今回の話で、ショウさんの壮絶な過去が明かされました。

伝説の救世主ではなかったショウさんがジャークマターと戦うには、スキルキュータマによる無茶な変身システムに頼るしかありませんでした。ただし、それは“ニセモノ”の力であり、変身していられる時間には制限がありました。

でも、ショウさんは自らが戦って、今、目の前にいる困っている人たちを救いたかった。ショウさんは、宇宙の希望になりたかったのです。
しかし、強力な刺客イカーゲン・マーダッココンビの前になすすべもないショウさん。ビッグベア総司令はショウさんをイカーゲン・マーダッコから逃がすために命を落とします。
ビッグベア総司令が死ぬ間際に遺した言葉「ショウ!キュウレンジャーを探せ!キュウレンジャーこそが宇宙の希望じゃーーーーーー!!!!!!!!」に応えようと、ショウさんはイカーゲン・マーダッコと一人で戦うことを決意します。


悲しい体験でショウさんが失ったもの

ショウさんは過去に、自分のしたいことをして、大切な仲間を失い、組織を壊滅へと追い込んでしまった。

 

 実際のところ、仲間が死んだのも、組織が壊滅に追い込まれたのも、ショウさんのせいかっていうと、どうかな。ショウさんだって、ヒーローごっこがしたかった訳じゃない。目の前で困っている人を放っておけなかった。その時、自分がベストだと思うやり方を一生懸命やったんです。でも、それが結果として仲間の死と組織の壊滅を招いてしまった。

ショウさんは悪くない。でも、ショウさんは自分が悪いと思ってしまった。*2そして、「自分のしたいことはしてはいけない」と思ってしまった。「自分が犠牲になって、キュウレンジャーを守ろう」と思ってしまった。
ショウさんの行動原理は、“自分がしたいからする”から“するべきだからする”に変わってしまったのです。

 

自分がしたい事をし続けて、また同じようなことが起きれば(キュウレンジャー死亡)、ショウさんは今度こそ自責の念に堪えられないでしょう。もう、2度とあんな思いはしたくないのです。あんな思いをするくらいなら自分のしたい事を諦めたほうがマシなのです。

ショウさんは、失敗に傷ついて“自分自身”を失くしてしまったのです。


過去の失敗から仲間を信じられなくなったショウさん

スパーダがイカタココンビに拉致された時、遥か遠くのラシンバン座系惑星ジーシャックにいたチャンプは自分がともに戦えないことを悔やみます。
しかし、ナーガは「信じよう。仲間たちを」とチャンプをなだめるのです。

 ショウさんは、宇宙をジャークマターの魔の手から開放するという目的のために、誰一人キュウレンジャーを失うわけにはいかない、と単身イカタココンビの所へ乗り込み、スパーダ救出を目論みます。

目的のためなら、自己犠牲は厭わない、という訳です。
キュウレンジャーは誰一人失うわけにはいかないから、一緒に戦わないのです。
キュウレンジャーを守らなくてはいけないのです。

 

過去に、そんなスタンスで仲間に接していた人がいなかったでしょうか。スパーダです。過去のスパーダのラプターに対するスタンスと、今回のショウさんのキュウレンジャーに対するスタンスは同じものです。

仲間を信じていないのです。

 

自分を犠牲にしてでもキュウレンジャーを守りたい。一見美しい自己犠牲の精神です。でも、キュウレンジャーは守ってもらわなければいけない存在なのでしょうか?

 

確かに、ショウさんが助けに入らなければイカタココンビに殺されてしまうかもしれない局面がキュウレンジャーにはあった。今度こそ殺されてしまうかもしれない。それでも、キュウレンジャーの面々は、各々「その危険があろうとスパーダを助けに行きたい」と決めているのです。その決心に対して「キュウレンジャーが死んだらダメだから自分一人でやる!」とショウさんが抜け駆けをすることは、一見美しくても、仲間を信じてはいないということなのです。


信じるとは、相手が一人の人間として、すべてを自ら引き受けることのできる存在であることを認めることです。


ショウさんは、過去の失敗に傷ついて、自分の足で立つことをやめてしまった。使命、義務という杖に頼って立つようになった。だから、自分以外の人間のことも、自分の足で立てるということを信じられないのです。


勇気をだしたショウさん

では、ショウさんが再び自分の足で立つにはどうしたらいいのでしょうか?

 

もう一度、自分のしたい事をする自分に戻るのです。また、あんな思いをするかもしれない。「自分のしたい事は、価値がなく失敗と迷惑しか生まないものだ。それを再確認するくらいなら最初から自分のしたい事を諦めてしまったほうが傷つかずに済む」そんな恐怖に打ち勝って、もう一度、自分のしたい事をするしかないのです。

 

自分のしたい事をすると決めて、「私はこれがしたい!!お前たちも好きなことをしてくれ!!!私もお前たちも、それができる!!!!」と仲間に言えた時、ショウさんは自分の足で立ち、仲間に心を開き、仲間を信じることができるのです。ショウさんが不安を見つめることをやめたとき、ショウさんとキュウレンジャーは一人一人が輝きながら同じ方向へ向かって突き進んでいくことができるのです。

 

不安を乗り越え、仲間に心を開き、自分のしたい事に素直になったショウさんは、“ニセモノ”から“本物”へと変わり、リュウボイジャーに乗って自由に空を駆け巡りました。*3

ショウさんは、勇気を出して失った“自分自身”を取り戻したのです。

 

自分のしたい事をするには、心を開いていないとできません。「過去の自分の失敗は自分にはどうしようもなかった」と自らを許し、自分の責任の範疇と思い込んでいた他人の問題を当人たちの手に返し、自分のしたい事を自分の責任においてする。
言葉にすればただそれだけですが、過去の失敗が再演されるかもしれないという恐怖に打ち勝つことは困難です。
勇気とは、その恐怖を乗り越えることをいうのです。勇気でその恐怖を乗り越えて、“自分自身”をとりもどし、人を信じ、“自分自身”で人と繋がれるようになることを、“過去を克服した”というのです。

 

勇気とは、伝説の戦士が強敵と戦う時にだけ出すものではないのです。伝説の救世主ではない我々にも、平凡な日常の生活の中にも、勇気を試されている瞬間は無数にあるのです。


“ニセモノ”と“本物”の違い

“ニセモノ”だったショウさんは、自分のしたい事をする覚悟を決めて“本物”になりました。

自分以外のもの(使命)に委ねてしまっていた判断基準を、自分に取り返したのです。自分が、何をしたいのか。自分が、どうしたいのか。失くしていた“自分自身”、主体性を取り戻したことで、ショウさんは“本物”になったのです。

 

“ニセモノ”のショウさん(リュウバイオレット)と“本物”のショウさん(リュウコマンダー)で、やってることは変わっていません。それは、努力でキュウレンジャーをやっていたハミィと、楽しんでキュウレンジャーをすることにしたハミィのやってることが変わっていないのと同じことです。

“ニセモノ”と“本物”、やってること自体は変わらないのです。違うのはやっている本人の意識だけです。

 

ショウさんは言います。「龍の道に生き、龍の道を進む。私がやらねば誰がやる!」と。
リュウバイオレットとして生きてきたショウさんの「私がやらねば誰がやる!」と、リュウコマンダーとなったショウさんの「私がやらねば誰がやる!」。言葉は同じですが、それ言うショウさんの心持ちは全く違うものでしょう。

 

“ニセモノ”と“本物”の違いなんて、たったそれだけの事です。たったそれだけの違いを乗り越える勇気を、人はなかなか持ち得ないのです。

だからこそ、勇気は輝き、人の心を打つのです。人の心を打って、心を打たれた人の勇気を呼び起こすのです。

 

「お前のやりたいことはなんだ?」

ショウさんたちの前に現れた龍はショウさんに尋ねます。「ショウ・ロンポー。お前のやりたいことはなんだ?」と。

 

キュウレンジャーでは、誰かのしたい事を誰かが勝手に決めつけることはありません。*4聞かなければ、相手が何をしたいのかは分からないから。

 

自分と相手は違う人間で、相手が何を考えているのかはわからない。それは、相手を一人の人間として尊重する姿勢です。
自分の「こうしてあげたい」を押し付けないためには、相手が何をしたいのか、相手は自分に何を望んでいるのか、聞くしかないのです。

相手が何をしたいのか、聞く。それは、「あなたのしたい事を受け入れる用意があるよ。私はあなたがあなた自身になることを応援してるよ。」というメッセージです。

ショウさんは、龍にしたいことを聞かれて、ラッキーたちに背中を押され、「私は9人の伝説の救世主とともに戦いたい。ジャークマターの支配から宇宙を開放するために!!!!!」と“自分自身”を取り戻したのです。

ラッキーたちとともに、宇宙の希望であるキュウレンジャーの一員になったのです。

 

“自分自身”を生きるとは、今この瞬間を生きること

リュウコマンダーとなったショウさんは余裕綽々でマーダッコに呼びかけます。

焦ってるの?ゆっくり楽しもうじゃない

時間に追い立てられて、はやく決着をつけようと焦っていたショウさんはもういません。

 

焦るとは、過程を楽しむことなく、結果のみを求めている状態です。努力で頑張っていたハミィや、使命感で頑張っていたショウさんは過程を楽しむどころではありません。

自分がしたくてしているのではないのだから、さっさと結果が欲しいのです。早く終わらせたいのです。

それは今を生きていないということです。過去の失敗に怯え、未来の結果を求め、今この瞬間に意識が向いていない。過去も未来も自分にはどうしようもないので、過去や未来に意識が向いていると不安を感じます。そして、不安に基づいた行動*5をしてしまう。

 

自分が、何とかできるのは、今この瞬間だけです。

今この瞬間、自分には何ができるか、を考えている人間だけが不安から自由でいられるのです。

過程とは、今この瞬間の積み重ねです。

そして、“自分自身”を生きて、したい事をしている人間は、過程を楽しむことができるのです。

 

ショウさんは過去の失敗からも、未来の結果からも自由になり、ただただ、宇宙の希望・リュウコマンダーとしての戦いをたのしんでいたのです。

 

大人になるとは

誰だって、子どもの頃は自分自身を生きていたはずです。でも、その生き方には経験不足からくるつたなさがあった。そのつたなさは、他者との軋轢や挫折を生んだはずです。

自由な子どもは、それらの失敗から「自分自身を生きることはよくないことだ。自分は自分自身を生きるに値しない」という事を“学んで”しまった。そして、自分自身を生きることを諦めて、自分の人生の舵取りを、自分以外*6に委ねてしまったのです。

大人になるとは、失敗に傷ついて失った“自分自身”を取り戻すことをいうのです。

“自分自身”を取り戻して、自分の責任で、自分のしたい事を楽しんでいくことを大人になるというのです。


また、傷つくことになるかもしれない。でも、今度は大丈夫です。自由な子どもは、自由な大人に成長している。その生き方にもうつたなさはないし、もしまた傷つくようなことがあったとしても、自分でなんとかできるのです。

勇気を出して“自分自身”を取り戻せば、誰でも大空を自由に飛び回ることができるのです。

(おしまい) 

 

 

▼スパーダ、絶対裏設定で“ゲイ”ってあると思う。

*1:show time!

*2:まぁ思うわな。

*3:そういえば、夢を叶えたラプターも自由に飛び回っていました。

*4:ラプターの夢を否定していたスパーダも、ラッキーに諭され?て、最後はラプターに「君はどうしたい?」と聞いていました。

*5:逃げ

*6:「人から見てどうか」とか「常識的に考えてどうすべきか」とか「家族はどういう顔をするか」とか色々